2009年8月24日月曜日

「営業パ-ソン、がんばれ!」 ~在庫で知る!19話~

 読者のみなさん、こんにちは!楯です。

今回は、私が知った「面白い病院系の台湾語」を紹介します。
読者の皆さんの中には、ご存知の方もみえるかと思いますが。

私は、日本語と台湾語の違いの面白さを印で書いてみました。

★整形外科=骨科    面白さ度★★★★★
★美容外科=整形外科  面白さ度★★★
★歯科=牙科      面白さ度★★★★
★耳鼻咽喉科=耳鼻喉科 面白さ度

★産婦人科=婦産科   面白さ度
★★
読者のあなたの面白さ度は、印がいくつになりますか?

さて、
今回、在庫で知る!とタイトル付けました。
商社の大阪勤務時代、
担当先を7社持つことになった話はしました。
初陣から数ヶ月間は、A先輩と頻繁に同行営業しました。

私の担当先は、製造メ-カ-でしたので
よくA先輩と担当先の倉庫を見せてもらいました。
当時、木材の原材料は輸入材が多かったからでした。

輸入材の多くは、米国やカナダの原材料がメインでした。

A先輩は、「楯、この原材料のシ-トに書いている英語のスペルを全て手帳に書け!」と。会社名、原材料名、サイズ、数量などを、メモしていました。

A先輩は「楯、この担当先の月間生産量は何m3だ?」と聞かれました。

私は「よく分かりません」と答えました。

A先輩は「よく分からないと言うことは、少しは分かるのか?」と。

私は「え~と!」と。

A先輩は「分かるのか、分からないのか、どっちや?」と立て続けの質問。

A先輩は「分からないなら、分かりませんと答えろ!曖昧な理解は、理解していない
ことと一緒だぞ、楯君ょ
」と。

A先輩は「楯、この担当先は月産100m3だから、適正在庫は400-500m3だぞ!
大体、製造メ-カ-の在庫は約4-5カ月と覚えろなぁ!


A先輩の言い方は厳しいが、正論であり根拠が明確でありました。

後に、新素材の新規拡販営業は、お客様の倉庫の在庫を見ることが基本中の基本と
なりました。

「在庫で知る」と言うことは、お客様のお腹の状況や情報を知るといった、
重要な要素でした。
仕入先の情報
売れ行き状況(在庫が増えれば、売上減少か過剰仕入などの予測可能)
仕入交渉の時期の予測(北米材は四半期単位の値決めでしたので)
など、これも大切な営業でした。


幾つかの担当先へ訪問すると、
■ 仕入先の共通点
■ 仕入価格の違い
■ サイズの共通点
■ 売上見込みの逆算合計
など、だんだん市場の規模が分かってくること。


そうした、まだまだ売上に近づかない、地道な情報収集が
新素材の開拓営業に、大きな役割を果たすことになりました。

18話の初陣から、1年経過しました。

依然、月売上の伸びはゼロの状態でした。

気持ちは、忍耐と粘りの精神力だけで仕事していましたね。











高雄の85階建てビルからの風景写真。



では、次回お楽しみに!

2009年8月3日月曜日

「営業パ-ソン、がんばれ!」 ~初陣!18話~

ご来訪いつも感謝しています。代表の楯です。

初陣(Uigin)という言葉、ご存知ですか?

この言葉は、戦国時代や江戸時代の武士の間で使われたものです。

初陣とは、武士(父親)の10代の息子が初めて戦(Ikusa)で戦う(Tatakau)時に
使われたものです。(ドラマなんかで、よく耳にします)

昔から歴史オタクかもしれません。

今年入社した新人社員も、営業職の方なら1人で担当先を回る営業に
でる時期ではないでしょうか?

それは、初陣ですよね。(独り立ちです)

最初の訪問先って、バッチリ営業できた方も多いのではないでしょうか。


さて、
今回、初陣!とタイトル付けました。

商社の大阪へ転勤し半年、

担当先を7社持つことになりました。

初陣は、奈良県にある集成材メ-カ-への訪問でした。
この担当先は、A先輩から引き継いだ先。
大阪から特急で約1時間30分。

当日、A先輩から「いまどんな状況か、よく聞いて来いやぁ」と助言されました。

楯は電車の中で、ノ-トに書いていたことを、必死に覚えていました。

また頭の中で「こんな事聞いたら、お客さんはどう応え、その後楯にどんな事
聞いてくるだろうか!」
とそんな空想を必死に考えていました。

とにかくお客さんから「専門用語を使った話を聞いたとき、どう対応しらいいのか!」
を心配していた記憶があります。

楯は、最寄の駅で降り「こんな事、あんな事、聞かれたら」と
駅の待合室で、2時間も考えていました。

すでに担当先との訪問時刻は、当に過ぎていました。

かれこれ3時間が過ぎて、やむなく会社へ帰社してしまいました。

これが、楯の「初陣」でした。

非常に、恥ずかしい初陣となりました。

A先輩は「楯なぁ、お客さんはプロだろ!勝てるわけないから、○○専務に
教えてもらえ!」
と。
また、「教えてもらったことを、仕事で返せばいいだろぅ!」とアドバイス
されました。

その間の5年間、北米材の輸入契約の継続的な取引が続き
売上は0→月10,000万円まで伸びました。

それはそれとして、毎年暮れに忘年会に招待されました。
かつ
その担当先の会社の下に、吉野川がありました。
楯はバ-ベキュ-をしたいので「専務!養殖の鮎をお願いできますか?当日お支払
しますので・・・」と、ずうずうしいお願いをしちゃいました。

当日、バ-ベキュ-してる時「楯くんゃ、鮎たくさんつれたわ!」と
専務が来ました。

専務は「俺と工場の連中で、朝4時からして、天然ものを食べさせてやりたかった
からな!」と。

昔この専務は「仕事だけって言う、お客さんはあまり好きじゃないなぁ!」と
ポツリ。

非常に人情味のある方でした。
確かに、初陣は恥ずかしいものでした。
しかしその後楯は、担当先の専務に
「教えてもらいながら、営業や商談のコツ」を学びました。

以前若い営業パ-ソンが、何十人も挫折し離職して行く光景を見てきました。
その若い営業パ-ソンは、プライドが強すぎたのか・・・!
             上司や先輩に教えてもらう環境になかったのか!
詳しいことは分かりませんが。
1つ言えることは、「プライドの強い人」は、営業職はムリです。
それは、「相手の意見やアドバイス」を聞けないからです。

楯は初陣に、大失敗しました。
しかしいまブログに書いているのは、過去の話です。

いつ、どこであなたにチャンスが来るかわかりませんが、
その時にそのチャンスをしっかり掴んで欲しい
ものです!

ところで良いことばかりでは、ありませんでした。
※担当先の中で、初めて「出入り禁止令」を告げられ、担当を降ろされた件。
※担当先へ、取引中止を告げ大喧嘩になったりした件。
日頃の「人間関係の作り方」が未熟であったと反省したこともありました。

やはり自分の価値観が、相手には違う解釈をされる」といったリスク
いつの時代も同じです。
 楯もあります。「メ-ルは早くて便利」ですが、その文章を書いた人とは違う解釈
をしてしまうミス。結局電話か会って確認する作業が入ります。

営業パ-ソンの皆さん、初陣された方、まだの方、頑張ってくださいね!

図1元蒋総統訪れたお店看板の写真。











元蒋総統訪れ「美味い」と言ったお店。(高雄市から更に南部)

図2お店で撮った豚足料理の写真。










豚足の切り身に肉。日本のテレビ局も多々取材。


では、次回お楽しみに!

2009年6月23日火曜日

「営業パ-ソン、がんばれ!」~担当先決定!17話~

ご来訪、いつも感謝しています。楯です。

今年入社された新人営業パ-ソンの皆さんも、
9月から担当先を持って意気揚々と「自分の未来」に向けて
日々、勉強されているかと推測しています。

 昨今の企業の採用傾向は、ズバリ「即戦力」であるかと思います。
つまり「新人社員の能力」を要求されているわけです。

それだけ、今の新人社員の皆さんは、会社から期待されているとも
言えますね!

そうした意味では、「働き甲斐」や「自己啓発」などモチベ-ションは高揚し
経済状況が良くなくても、恵まれた環境と考えたほうが良いと思いますよ!

さて、
今回、担当先決定!とタイトル付けました。

平成5年4月に大阪へ転勤し、

■ 貿易実務の勉強
■ 木材業界の背景と現状
■ 木材業界特有の専門用語の勉強
■ 検品で木材を体感
■上司や先輩の担当先へ同行営業

など、半年間でいろんな研修をさせて頂きました。

そして同年10月、
担当先(得意先)7社を受け持つことになりました。

7社の中の1社は、大手総合建材メ-カ-T社の子会社。

後に「売上10倍」に大きく影響した担当先でありました。
後の6社は、集成材メ-カ-でした。(奈良県・大阪府・和歌山県)

後にこの担当先では、ニュ-ジ-ランド材のラジア-タパイン製品の輸入販売
で「売上10倍」に大きく影響した得意先でした。

楯の担当先は、最初の1年目は7社で、売上は月10,000万円でした。

大阪でも同期会を、たまにしていました。

居酒屋で飲んでいる席で、
ある同期曰く「だいたい、商社マンは月数億円の担当先を持つのが普通だろ!」と。

続けて「楯なぁ!月10,000万円で自分の給与と管理部門2名の事務員の経費は
稼がないとな-!」
と。

これは同期の仲間の会話でしたが、楯は何も言うことできませんでした。

しかし楯は内心、「負けたくない!」という闘志が湧きましたね。

結果的に5年後に、月1億円以上の売上実績を残しましたが、
それは楯に「即戦力のような能力」など、何もなく
あくまで上司や先輩から教わりながらの結果
でした。

つまり凡人でも「粘り強く継続する頑張りや情熱を持っていれば、誰にでも
可能性はあること!」
と。
(学歴が優秀なら、仕事も優秀か?とは決して言えないこと)

去年の暮れに、お世話になった元上司と久しぶりに会いました。

元上司は「楯くんは、いつまでたっても不器用だな-!」と。

元上司は「お前は、仕事に対する情意だけは良かった」と。

当時、この元上司と楯は、
市場導入期にあった、ニュ-ジ-ランド材のラジア-タパイン製品の
拡販活動を粘り強く続けました。

ちなみに、
タイトルの「営業パ-ソン、がんばれ!」の「がんばれ!」とは、
「情意や情熱の持続」という意味を籠めています。
では、次回お楽しみに!

高雄滞在中、人参入りのお茶を御馳走になりました。


2009年6月5日金曜日

「営業パ-ソン、がんばれ!」~方言!16話~

ご来訪、いつも感謝しています。楯です。

どの国、どの地域にも、言語は違っても「方言」はあるのでは
ないでしょうか!

日本には、東京弁が標準語、名古屋弁、博多弁、関西弁など多々あります。

沖縄や青森の言葉、テレビ見ていると解らない言葉も多々あります。


今回、方言!とタイトル付けました。

楯は名古屋生まれの岐阜育ち。
高校までは、名古屋弁と岐阜の方言が混じった言葉を話していたと思います。

東京勤務の2年間は、楯の方言は「キツイ口調!」と
しばしば同期に注意されていました。
やはり、東京の言葉は、「優しい口調の表現!」には間違いないと
思います。

平成5年の4月、今は大阪勤務、
楯は、この半年後に担当先(得意先)を持つことになりました。
担当先の地域は、大阪府内、奈良県、和歌山県でした。

楯は担当先のキ-マンと商談しても、最初の頃は「キ-マンが話されている
意味の度合い」が、全然理解できませんでした。

「キ-マンが話されている意味の度合い」とは、
例えば楯が、「社長!売上は伸びていますか?」とお聞きすると

大概の方は「まぁ、ボチボチですわ!」と言われます。
つまり楯は「売上の伸びのボチボチ度合い」が理解できなかった時期が
ありました。
それで、たまに大阪の同期と居酒屋行くと「ボチボチってどの程度のこと
なんだ?」と聞いたことがありましたが。
ある同期は「ボチボチの範囲が広い人もいるからな-」と。

大阪や奈良の担当先のキ-マンは、
「相手に対し、伝え方が遠回しの表現」をされました。
それは、「相手に対する、優しさや配慮」があったと思います。

その典型的な方言が、「値引きの表現」に顕著に現われていました。

楯が「このA製品は、一個1,000円でお願いしたいのですが?」と尋ねると。

担当先のキ-マンは「楯さんょ!もう少し勉強してくれへんか?」と言われます。

楯からしたら、「もう100円値引きしてくれないか?」と聞かれたほうが
分かり易いですが。

この「勉強」という遠回しな表現、どの位値引いていいか分かり難い曖昧な表現
をされていました。

ですから「お客様の意味の度合いは、自分の尺度を持つしかない」
楯の結論でした。

しかし名古屋や東京のキ-マンは、比較的「ストレ-ト系」に表現される
傾向が強かったですね!

ちなみに以前、京都出身の方に「方言」についてお聞きしたことがあります。

それは、「嫌いなお客さんが来られても、決して断る「言葉」は使わない!」と。











◆◇余談◇◆
今回は、手の動き!です。

やはり、ビジネスでもプライベ-トでも会話している相手の反応って
気になるもんです。
・ 関心を持って聞いてくれているのか。
・ つまらない話しをしているのではないか。

楯は「商談内容」について関心を持ってくれたかの感触を知りたいというのが第一の関心事でしたが。

★相手が、あなたの話しに関心や興味を示す「しぐさ」は、
・相手が手のひらを見せる。
・ あごをさする。
・ 相手との間にある障害物を取り除く動作。

★ 相手が、あなたの話に賛成できない「しぐさ」は、
・ 体の前で、握りこぶしを作る動作。
・ 指やペンで、机の上を叩く。
・ 鼻の下をこする。

では、次回お楽しみに!

2009年6月1日月曜日

「営業パ-ソン、がんばれ!」~技術営業!15話~

ご来訪、いつも感謝しています。楯です。

商社の東京時代は、ル-ト営業をしていたとお話しました。

楯が勤めた商社のル-ト営業は、日本国内のメ-カ-から
首都圏の得意先へ販売していました。
ポイントは、営業手法です。

ル-ト営業は、日本国内メ-カ-の総合カタログを得意先へ配布しており、
得意先の売上貢献度や商社の貢献度を考慮して、
例えば「カタログの定価の48掛け率で、A得意先へ仕切る」という慣習
がありました。(今も、あると思いますが・・・)
その48掛け率の中には、商社のマ-ジンも含まれている仕組みでした。

つまり、ル-ト営業は極論すれば売上拡大だけの勝負」でした。
商品及び製品の返品も、メ-カ-負担でしたので。
ですから、キ-マンを如何に「その気にさせるか」が重要であって、
知識に関し専門性が要求される営業手法とは少し違いましたね!

しかし、そうしたル-ト営業を少しの期間でも経験した楯からしたら、

木材の輸入契約を進める道のりは、かなり広い範囲の専門性が要求されていたと
言えます。
それは、
①輸入原材料の営業は、価格・品質・サイズ・数量など楯が営業を完結しなければ
 ならないこと。
②販売先は、製造メ-カ-であることは「生産性の効率化」を厳しく要求されること。
③1つの輸入原材料の契約金額は、約4~5百万単位と金額が大きかったこと。
④商社ですから、もし返品されても処分できない環境であったこと。

以上のようなリスクを、常に抱えながらの営業でした。

ですから、それなりの専門性を要求された営業であったことは確かです。

つまり、「技術営業」が求められる違いがありました。

商社の大阪勤務時代の5年間、

最初の約2年間は、技術営業ができるための訓練でした。

かつ市場導入期であった、新素材のラジア-タパイン製品を
営業車の助手席に積み、得意先のキ-マンへ見せながらの商談。

新素材のラジア-タパイン製品を得意先のキ-マンが初めて契約する時は、
特に品質と寸法精度が不安要素でした。

そんなニ-ズがあれば、大阪・奈良の林業試験場へサンプルを持ち込んで
各種のデ-タ証明書を発行
してもらう。
そうした、裏付けの試験結果の蓄積をもとに、
繰り返し得意先のキ-マンとサンプルを見ながらの商談の連続でした。

そんな繰り返しの営業で、新素材のラジア-タパイン製品の契約は
楯が大阪へ転勤してから、約2年半後に売上が少しづつUPするように
なりました。

「如何に、新しい商品や製品を売ることの難しさ」頭とカラダで実感した
時期でした。

ただ逆に考えれば、
この時期だから、「粘り強い商談する力」が自然と身に付いたかもしれません。
それは、近い将来入社する新人達は、
「この商品や製品の取引は、当たり前という価値観になってしまう」からです。
そうした意味では、「楯は、絶好の機会を与えて頂いたのだ」
感謝しております。

楯の20代半は、「木材は生き物」を相手に悪戦苦闘していました。













◆◇ 余談◇◆
今回は、笑顔!です。

皆さんは、お客さんと本当に腹を抱えて笑ったことありますか?

人は同じタイミングで笑える人に、親近感を覚えるものです。
一緒に笑える相手は、共通の価値観を持つ、つまり気が合う存在と言えます。
しかし、お世辞笑いや愛想笑いは、作り笑いの代表格と。
では、作り笑いと本当の笑いをどこで見分けるのか
「目が笑っていなければウソ」と言われます。
「目の動き」がポイントになるそうです。
作り笑いをする時、目と口が同時に動きます。
しかし、本当に笑っている時は、「口が先に開き、遅れて目元がゆるんでくる」と
言われます。
ちなみに、涙が出るほどおかしいと思ったときの笑いは、口や目が動くだけでなく
体全体で表現するそうです。

※当時、楯も大阪のある得意先専務と、大阪から秋田まで飛行機で出張している途中、
飛行機の中で耳とアゴが死ぬほど痛くなった姿を見られました。
そして、その専務が大笑い。
それ以後、この話は商談の時にも、話す前から笑い出す始末でした。

やっぱりお客様と、本音で話し合える仲になると「営業の醍醐味」を実感できると
思いますね!

では、次回お楽しみに!

2009年5月25日月曜日

「営業パ-ソン、がんばれ!」~検品で知る!14話~

ご来訪、いつも感謝しています。楯です。


昔から楯は、歴史の本を読むこと好きです!

特に、戦国時代と江戸時代です。
戦国時代で有名な武将は、織田信長、豊臣秀吉などです。
豊臣秀吉は、貧しい百姓の子として生まれながら、厳しい身分制度の中で
天下を統一した人物ですよ!


江戸時代では、徳川家康が江戸(東京都)幕府を開府した元勲。
歴代征夷大将軍は、15代続きました。
その中で名君と言われたのが、8代将軍徳川吉宗です。
日本のテレビでは、「暴れん坊将軍」として数十年続いていますよ!
この吉宗は、いろいろな改革を実施しました。
その中の1つ、将軍の子(世継)を育てる「大奥」という男性禁制の
お城
がありました。

吉宗の時代、財政はかなり厳しく「大奥の改革」も実施しました。
それは、今で言うリストラです。
その基準は、容姿の綺麗な女性をリストラしたことでした。
その理由は、嫁に行けるからでした。
当時の大奥の中では、どんな葛藤や嫉妬があったか想像も付かないですが・・・。


今回、検品で知る!とタイトルつけました。

平成5年
当時、木材の輸入原材料には2種類ありました。
◇1つは、水分を充分含んだ原材料でした。
 ※これらの原材料は、主に中国からの輸入。
◇もう1つは、人工的に乾燥した原材料でした。
 ※これらの原材料は、主にアメリカ・カナダ・ニュ-ジ-ランドからの
輸入でした。

特に中国からの輸入は、日本の集成材メ-カ-の技術者が日々
人工乾燥の技術指導を行っていました。
しかし、中国と日本との気候の違いも加わり、
日本の港に到着する時は、原材料にソリ・サイズ不足・含水率のバラツキ
が生じることは多々ありました。

そして、その度に検品作業をしました。


検品作業は、単純な重労働と思われる方もみえるかと思います。
しかし、検品作業して初めて「知る」こともたくさんありました。

□検品で知ったこと
◆どの国のどの会社の原材料が、一番品質に安定感あるか。
◆どの国のどの会社に、どんな適切な指導をしたら良いかの判断。
◆お客様はクレ-ム品と主張した際の、判断基準のノウハウ蓄積。
◆なぜお客様はこの1~2mmのサイズ違いで、我々は指導されるのか。(収縮・膨張)
 そのポイントは、いったい何か。
◆自分の目・手・感触・重みで、その材料がクレ-ムか判断する能力。

非常に地味で、汚れる作業でした。
ですから検品作業する日は、必ずTシャツとジーパンを持参していました。

楯は、たまたまそうした業界、原材料を扱ったに過ぎません。

例えば、木造住宅の家は、室内の湿度を自然にコントロ-ルしています。

湿度が高ければ、膨張します。
あなたの家の木材も、がんばっていると思いますよ!

地球資源の視点で言えば、集成材はRecycleWoodとしても注目されています!

また
ニュージーランド材においては、品質グレードの選別作業を
A先輩と頻繁にしていました。

当時はいわば、
市場導入に向けた、大切な準備期間であったと考えます!

ちなみに、
ニュージーランド材とは、針葉樹の松でRadiata Pine(ラジア-タ・パイン)
と呼ばれています。
このRadiata Pineの特徴に、直径40㎝の大木に約20~25年
成長することです!
ちなみに日本や米国の松では、約90~100年かかると言われます。

そのRadiata Pineの成長の早さが、新規開拓営業の障害になるとは、
まだ楯は気づきもしてない時期でした。











◆◇余談◇◆
味付けの話です。
台湾と言ったら、中華料理が一番にイメージします。
楯が思うに、台湾の食事は日本に近いもの感じました。

米は小粒ですが、美味しかったです!
ただ、味付けはかなり薄味でした。

塩とか醤油が欲しいぐらいです!

ではでは、次回お楽しみに!

2009年5月18日月曜日

「営業パ-ソン、がんばれ!」~基礎と専門性!13話~

ご来訪、いつも感謝しています。楯です。

転勤で、東京本社から大阪本社へ移動。
引っ越しは、千葉県の柏から岐阜県の実家を経由して、
奈良県の独身社員寮へ車で移動しました。
岐阜の実家から奈良県の独身寮へ移動中に、
実はとんでもないハプニングありました。

岐阜県の実家を夜10時に出発して、東名阪高速に乗りました。
車の中は、睡魔に負けないように音楽をガンガン流していました。

初めて走る道・・・。
途中で回りの車の速度が遅くなり、なんか悪い予感!
パトカーが「止まりなさい!」と。
でも高速道路だから、スピード違反は厳しいなと!

警察官曰く「この道路は、一般道路ですよ!」と告げられました。
いきなり、赤切符です。(42キロOver・・・)
てっきり東名阪と西名阪は、繋がっていると先入観ありました。

それ以来、スピード違反は一回もしてないです。

今回、基礎と専門性!とタイトルつけました。

東京本社の2年間では、国内メ-カ-の製品を国内の得意先へ販売していました。

しかし、大阪本社へ転勤して、いろんな変化に直面しました。

それは①社内の人脈作り。
    ②方言の変化。
    ③地理の変化。
    ④業務の専門性の変化。
でした。
①社内の人脈作り。
※皆さんも、転勤や配置転換の経験ある方もおみえかと思います。
 楯は、大阪本社で1ヶ月間研修を受けただけでしたので、
大阪の仲間の名前を知る程度で、顔と一致するまで時間掛りました。
また営業部門は、管理部門の支援が大切ですが、なかなか名前と顔が一致しないまま
「Aさん、これお願いします」と楯が話したら、「私は、Bですよ」と恥をかくことも最初は多々ありました。

 当時の大阪の上司・先輩から、よく言われたことがありました。
「入社して5年目までの恥や失敗は、多めにみてくれるから分からないことは
ドンドン聞け」
と。

②方言の変化。
※方言は、台湾の皆さんもあると思います。
 楯は、元は名古屋弁です。
 東京勤務時代は、同期から「楯の名古屋弁は、キツイ言い方に聞こえるぞ!」
何回か言われました。
 しかし今は大阪です。
 関西弁、独特の言い回し表現は、どう理解したら良いか分からないことも
ありました。
③地理の変化。
※これは、皆さんも経験あるかと思います。
 関西のJRや地下鉄は、東京程発達していません。
ですから営業活動は、営業車で移動することが多かったです。

④業務の専門性の変化。
※木材課という組織に配属しました。
※当時の木材課は、中国やニュ-ジ-ランド、東南アジア等から原材料を輸入し、
関西圏の集成材メ-カ-へ販売する組織でした。
ですから、チ-ムのデスクには英文の輸入関係資料がたくさんありビックリ!
また先輩達の飛び交う会話も、木材の専門用語の連発!

□貿易実務の本を会社で読みました。
*銀行間の決済の流れ
*貿易専門用語
*外国為替の仕組み
*乙中業者の役割

□木材新聞を読む
*木材の専門用語
*集成材業界の現状把握
*その他・・・
を毎日読むことでした。

また、
A先輩から「分からない新聞記事の内容や専門用語の語彙の意味、
まとめて聞いてくれ?」
と。

毎週、文通みたいなことしていました。
当時は、最低限必要な知識としか思いませんでした。

しかし、いま思えば「この最低限必要な知識を中途半端にしていたら、
新規営業開拓などできないし、売上10倍なんて到底無理だったこと」

改めて客観的に回想してしまいました。

それは、新規営業開拓とは技術営業だからでした。
そのキ-ワ-ドは、木材は生き物であるからでした。











◆◇余談◇◆
この4月の初旬、台北へ行きました。
台湾では、高学歴社会が加速しています。
聞いた話では、人気は公務員みたいです。

しかし驚いたことは、学校の先生になるにも、就職浪人するのが当たり前とか。
やむなく、大学を留年するか、大学院にあたる研究所へ進学するそうです。

ではでは、次回お楽しみに!