読者のみなさん、こんにちは!
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒、震度7の阪神・淡路大震災が起きた。
当初、気象庁は「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」と命名。
しかし淡路島地区の被害も大きかったことにより、災害名を「阪神・淡路大震災」と呼称する事が2月14日の閣議によって口頭了解された。
■死者:6,434名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名
• 避難人数 : 30万名以上
• 住家被害 : 全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計249,180棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟
• 火災被害 : 住家全焼6,148棟、全焼損(非住家・住家共)合計7,483棟、罹災世帯9,017世帯
• その他被害 : 道路10,069箇所、橋梁320箇所、河川430箇所、崖崩れ378箇所
• 被害総額 : 約10兆円規模
出所)提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用。
そのとき私は、奈良市内にある会社の寮に居ました。ちなみに奈良県は震度4。
今回は、出入禁止令!とタイトル付けました。
当時、担当先(販売先)の主な地域は、大阪府内、奈良県、和歌山県。
ただ、岡山県に1社のみ担当先がありました。
当時は、住宅用の和室内装材を主に生産するメ-カ-であった。
私は北米産のスプル-スという樹種の原材料を、コンテナ-で輸入販売していた。
価格・品質面は、担当先の製造課長から一定の評価を受けていました。
1995年(平成7年)1月17日に、阪神・淡路大震災が起きた。
ただ、震災の被害を受け神戸港、大阪南港とも、貨物船の入港すらできない状況。
かつ大震災日以前に入港した貨物(原材料)も、トレ-ラ-の配車ができず出荷さえもできなかった状況。
たとえ、配車の手配ができても、高速道路・一般国道など交通インフラは完全にマヒ状態。
ただ、岡山県津山市は大震災の影響は、ほとんどなく工場は正常に稼働していた。
当時の担当先製造課長は、「こちらは地震の影響はない、早く原材料を送ってくれ!」と数回連絡が入り、大阪市内の状況を説明した。
かつ当時の常務からも、早く供給する趣旨の連絡も入っていた。
しかし、「工場はいかに生産効率を上げるか」が重要な職務。
結果的には、安定供給はできなかった。
3月に入り、私の上司、本部長、部長、課長と岡山の担当先へ表敬訪問した。
そこで担当先常務から「楯さんを担当から外して欲しい」と開口一番に言われた。
当然の結果であったと当時、思いました。
いわゆる「出入禁止令」です。
私はあの日が、いちばん悔しく無念な気持ちなりました。
昨今では、ビジネス・リスク管理という、自社にとってリスク要因を予測しマニュアルを策定しています。
ちなみに
米国のマイクロ・ソフト社が初めて「リスク・マップ表」を書籍に開示した。
これは、リスク発生頻度と影響度をマトリスク化したもの。
その中には「自然災害リスク」もカテゴリ-の1つとして掲載されています。
その意味は、「我社は、想定されるリスクに対しきちんと方針を決めています」と
中期経営計画や有価証券報告書に記載する目的。
※ 「リスク・マップ表」については、 【経営事例】9話で詳しく掲載する予定です!
では、次回またご来訪お待ちしています。
2010年3月8日月曜日
2010年2月22日月曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」~違算を作らないテクニック術!28話
読者のみなさん、こんにちは! 楯です。
今回の話は、はっきり言って面白くないです!
会社員時代、いわゆる「営業管理」があまく違算処理に終始する方々を
多く見てきました。
ちなみに「違算」とは、「お客様へ請求書を発行」→「お客様から期日に代金回収」
→「請求書と代金回収の金額の差異」(=未回収金額)
今回は、違算を作らないテクニック術!
営業も販売も、商品或いはサ-ビスを提供した対価としてお客様から
代金を回収して一つの営業或いは販売が完了します。
特にプッシュ営業では、多くの営業員は新商品や既存商品の売上拡大に
日々奮闘しております。
とりわけ製造メ-カ-等の営業員は、「お客様から受注」→「自社工場へ発注」
→「納品時期確定」→「自社工場から商品出荷」→「お客様へ到着」
→「決済条件に従って代金回収」
これが概ねの流れです。
ここに1つ「穴」がひそかに掘ってあります。
製造メ-カ-の多くの営業員は、大なり小なり経験があると思います。
それは、お客様の納品条件が「製造メ-カ-出荷日基準」か
「お客様の指定場所納品日基準」かの違いです。
私も違算の発生には、苦労した記憶があります。
例えば、
お客様との請求書の締め日は、毎月20日とします。
19日出荷の20日納品というのが、意外に違算の発生源になりやすかったです。
つまり、お客様の経理担当事務員は、毎月18~19日には仕入金額の処理業務に入るからです。
その場合、事前にお知らせしなければ間違いなく違算が発生してしまいます。
それは以前話した「先手後手の訓練」の重要性かもしれません。
しかし、お互い人間。営業員は担当先のキ-マンとばかり商談するのではなく、
経理担当の事務員の方とも「対面でも電話でも仲良くなる」が鉄則です。
その深層心理は、
「当社はキ-マンだけでなく、あなたの影のチカラに感謝しています!」と、
さりげなくメッセッ-ジを送り続けます。
それは
★自分の売り込み。
★先手後手の訓練。
★カミングアウト。
★商談時の粘り。
など、地味な営業が売上を急上昇させたのではないかと振り返ります。
もう1つありました。「経理担当事務員を、味方にせよ!」です。
それは、「お互いの信頼関係にて、違算を出さない努力が生まれる!」です。
※企業経営とは大きく3つに分類。
■営業・販売部門
■生産・開発部門
■管理部門
私は思います。
「営業・販売部門が活躍できるのは、管理部門の援護射撃があってこそ!」と。
では、次回また
今回の話は、はっきり言って面白くないです!
会社員時代、いわゆる「営業管理」があまく違算処理に終始する方々を
多く見てきました。
ちなみに「違算」とは、「お客様へ請求書を発行」→「お客様から期日に代金回収」
→「請求書と代金回収の金額の差異」(=未回収金額)
今回は、違算を作らないテクニック術!
営業も販売も、商品或いはサ-ビスを提供した対価としてお客様から
代金を回収して一つの営業或いは販売が完了します。
特にプッシュ営業では、多くの営業員は新商品や既存商品の売上拡大に
日々奮闘しております。
とりわけ製造メ-カ-等の営業員は、「お客様から受注」→「自社工場へ発注」
→「納品時期確定」→「自社工場から商品出荷」→「お客様へ到着」
→「決済条件に従って代金回収」
これが概ねの流れです。
ここに1つ「穴」がひそかに掘ってあります。
製造メ-カ-の多くの営業員は、大なり小なり経験があると思います。
それは、お客様の納品条件が「製造メ-カ-出荷日基準」か
「お客様の指定場所納品日基準」かの違いです。
私も違算の発生には、苦労した記憶があります。
例えば、
お客様との請求書の締め日は、毎月20日とします。
19日出荷の20日納品というのが、意外に違算の発生源になりやすかったです。
つまり、お客様の経理担当事務員は、毎月18~19日には仕入金額の処理業務に入るからです。
その場合、事前にお知らせしなければ間違いなく違算が発生してしまいます。
それは以前話した「先手後手の訓練」の重要性かもしれません。
しかし、お互い人間。営業員は担当先のキ-マンとばかり商談するのではなく、
経理担当の事務員の方とも「対面でも電話でも仲良くなる」が鉄則です。
その深層心理は、
「当社はキ-マンだけでなく、あなたの影のチカラに感謝しています!」と、
さりげなくメッセッ-ジを送り続けます。
それは
★自分の売り込み。
★先手後手の訓練。
★カミングアウト。
★商談時の粘り。
など、地味な営業が売上を急上昇させたのではないかと振り返ります。
もう1つありました。「経理担当事務員を、味方にせよ!」です。
それは、「お互いの信頼関係にて、違算を出さない努力が生まれる!」です。
※企業経営とは大きく3つに分類。
■営業・販売部門
■生産・開発部門
■管理部門
私は思います。
「営業・販売部門が活躍できるのは、管理部門の援護射撃があってこそ!」と。
では、次回また
2010年2月15日月曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」新規OEM営業編~絶対NOと言うな!27話
読者のみなさん、こんにちは! 楯です。
昨年11月、名古屋で経済産業省中部経済産業局主催の「第3回中部情報ビジネス研究会」の講演に参加した。
そこでは、「ITシステムが民間企業にとってどんな利益を生むのか」について熱弁された。
その趣旨は、「人材の削減ではなく、いかにその社員の業務において残務処理時間を削減し本来の職務へ発揮させるか」と私は解釈した。
ただ従来のシステム開発会社は、極論すれば取引先から受注をもらえる恵まれた環境。
しかし昨今では、それは通用しない。
講演者は開発一筋。しかし今、営業活動を通してお客様のニ-ズを自ら体感している最中。
「仮に無駄足が多くても、いろんな業界の人と接しニ-ズを開発のヒントに繋げている」と。
笑顔であった。
私は思いました。それが営業の原点だと!
昨今、営業マンへ即成果を求める会社もある。ただ新規販路において、即成果を求めることは不可能に等しい。
今回は、新規OEM営業編~絶対NOと言うな!とタイトル付けました。
このTW社は、
・フロ-リングの生産から製品化。
・階段・玄関框・などの塗装及び製品化。
・工場は5拠点。
私はその頃、階段と玄関框の製品でTW社の外注先を模索していた。
各工場の事務所には、黒板や図で「月別生産目標」とか「外注先別発注表」などを見つけた。
かつ工場内を歩き、現場スタッフに外注先からの入荷仕掛品を見せてもらった。
そして現場スタッフの方から、品質の評価を聞きまくりました。
それは、品質に問題のある外注先は、当社への切り替え可能性が高いと感じたから。
工場の現場スタッフとは、「良い製品をつくる職人気質」も強い。
そのポイントは「階段・玄関框は無塗装の仕掛品」で入荷される点がカギ。
同時に私は、東海地区で名門の東洋プライウッドの生産課長と月1回、TW社へ
同行営業していた。
ちなみに階段には、大きく2種類ある。
・合板に化粧単板を貼るもの。
・集成材で作られたもの。
TW社の階段は、すべて合板に化粧単板を貼ったものでした。
そうした点で、合板生産に非常に強い東洋プライウッドと取組みました。
ある日、各工場をひたすら歩いていたら、キ-マンから「楯くん、ちょっと話がある」と。
そのキ-マンは「外注先の1つの仕掛品の品質が悪く、クレ-ムに困っている。品質の良い先はあるか?」と。
私は「はい。東洋プライウッドの仕掛品なら、その心配はありません。」と即答した。
その工場の外注先からは、月1,000万円前後の新規商権。
それからが大変でした。
東洋プライウッドの受注から品質、納品体制は、まだ何も確立してなかったのです。
しかし、業界の慣習で外注先を変更するときは、最低でも3か月前に通知しなければならなかった。
私(当社)と東洋プライウッド、TW社との取引にはたったの3ヶ月間の猶予しかなかった。
新規OEM営業とは、どんなタイミングでチャンスが舞い込むか分からない世界もある。
「絶対、できません。」とは言わないのが鉄則です。
当時は「ただ、ひたすらそのチャンスを獲得するために挑戦する!」のみでした。
では、次回お楽しみに!
Good Luck! (*^_^*)
昨年11月、名古屋で経済産業省中部経済産業局主催の「第3回中部情報ビジネス研究会」の講演に参加した。
そこでは、「ITシステムが民間企業にとってどんな利益を生むのか」について熱弁された。
その趣旨は、「人材の削減ではなく、いかにその社員の業務において残務処理時間を削減し本来の職務へ発揮させるか」と私は解釈した。
ただ従来のシステム開発会社は、極論すれば取引先から受注をもらえる恵まれた環境。
しかし昨今では、それは通用しない。
講演者は開発一筋。しかし今、営業活動を通してお客様のニ-ズを自ら体感している最中。
「仮に無駄足が多くても、いろんな業界の人と接しニ-ズを開発のヒントに繋げている」と。
笑顔であった。
私は思いました。それが営業の原点だと!
昨今、営業マンへ即成果を求める会社もある。ただ新規販路において、即成果を求めることは不可能に等しい。
今回は、新規OEM営業編~絶対NOと言うな!とタイトル付けました。
このTW社は、
・フロ-リングの生産から製品化。
・階段・玄関框・などの塗装及び製品化。
・工場は5拠点。
私はその頃、階段と玄関框の製品でTW社の外注先を模索していた。
各工場の事務所には、黒板や図で「月別生産目標」とか「外注先別発注表」などを見つけた。
かつ工場内を歩き、現場スタッフに外注先からの入荷仕掛品を見せてもらった。
そして現場スタッフの方から、品質の評価を聞きまくりました。
それは、品質に問題のある外注先は、当社への切り替え可能性が高いと感じたから。
工場の現場スタッフとは、「良い製品をつくる職人気質」も強い。
そのポイントは「階段・玄関框は無塗装の仕掛品」で入荷される点がカギ。
同時に私は、東海地区で名門の東洋プライウッドの生産課長と月1回、TW社へ
同行営業していた。
ちなみに階段には、大きく2種類ある。
・合板に化粧単板を貼るもの。
・集成材で作られたもの。
TW社の階段は、すべて合板に化粧単板を貼ったものでした。
そうした点で、合板生産に非常に強い東洋プライウッドと取組みました。
ある日、各工場をひたすら歩いていたら、キ-マンから「楯くん、ちょっと話がある」と。
そのキ-マンは「外注先の1つの仕掛品の品質が悪く、クレ-ムに困っている。品質の良い先はあるか?」と。
私は「はい。東洋プライウッドの仕掛品なら、その心配はありません。」と即答した。
その工場の外注先からは、月1,000万円前後の新規商権。
それからが大変でした。
東洋プライウッドの受注から品質、納品体制は、まだ何も確立してなかったのです。
しかし、業界の慣習で外注先を変更するときは、最低でも3か月前に通知しなければならなかった。
私(当社)と東洋プライウッド、TW社との取引にはたったの3ヶ月間の猶予しかなかった。
新規OEM営業とは、どんなタイミングでチャンスが舞い込むか分からない世界もある。
「絶対、できません。」とは言わないのが鉄則です。
当時は「ただ、ひたすらそのチャンスを獲得するために挑戦する!」のみでした。
では、次回お楽しみに!
Good Luck! (*^_^*)
2010年2月8日月曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」新規OEM営業編~ひたすら歩く!26話
読者のみなさん、こんにちは!
江戸時代末期の米沢藩主の上杉鷹山という人物、ご存知でしょうか??
現代でいえば、「大赤字の会社を立て直した偉大な経営者」と呼ばれるでしょう。
私の趣味は歴史です。
たまたま、書店で「上杉鷹山」の本を買って読んでから、経営について強い関心を
抱きました。大学時代の頃の話です。
1961年、第35代米国大統領に就任したジョン・F・ケネディは、日本人記者団からこんな質問を受けた。 「あなたが、日本で最も尊敬する政治家はだれですか」
ケネディはこう答えた。「上杉鷹山(ようざん)です」
おそらく日本人記者団の中で上杉鷹山の名を知っている人はいなかっただろう。鷹山公は江戸時代に米沢藩の藩政建て直しに成功した名政治家で、財政危機に瀕する現代日本にとっても、学ぶべき所が多い。戦前は、小学校の修身教科書にも登場し、青少年に敬愛されてきた人物である。
藩主とは、国家(=藩)と人民を私有するものではなく、「民の父母」としてつくす使命がある、と鷹山は考えていた。しかし、それは決して民を甘やかすことではない。鷹山は「民の父母」としての根本方針を次の「三助」とした。
・ 自ら助ける、すなわち「自助」
・ 近隣社会が互いに助け合う、「互助」
・ 藩政府が手を伸ばす、「扶助」
出所)提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用。
今回は、新規OEM営業編~ひたすら歩く!とタイトル付けました。
大阪へ転勤してから、木材以外の新規営業をしていました。
当時、B課長の担当先だったTW社(現在この会社は存在しない)。
このTW社は、・フロ-リングの生産から製品化。
・階段・玄関框・カウンタ-などの塗装及び製品化。
・工場は5拠点。
当時、昔から名門の会社として世間の評判は上々でした。
当時の取引額は、月約200万円しかなかった。
B課長と同行営業して、キ-マンとの挨拶と各工場の生産キャパと製品品目など
の引き継ぎをした。
私は、挨拶した各キ-マンの方とお話をするため、週3回は訪問していました。
しかし、最初の3ヶ月間は、相手にもされない有様でした。
B課長は、「行って、行って、行きまくれ!」との指示。
私はキ-マンの方と1分でも話がしたく、週3回の訪問ペ-スは崩さなかった。
「いまは忙しい!」、「オレはその担当違うから、アイツに聞いてくれ! 」
など、たらい回しの時期も結構長く続きました。
半年ほど経過したある日、当時の部長が「楯、もう行っても無駄だ!、諦めろ!」と 営業活動の判断の見直しを求めた。
しかし、B課長は「楯、今のまま続けろ!責任はオレが取る!」と指示された。
半年間も訪問すると、製造メ-カ-特有の製品別内製比率が徐々に把握してきた。
要は、下請けに生産委託している製品を、当社に切り替えてもらう努力を始めた。
とにかく月200万円しかない担当先。当時の課内会議でも営業を続けるかの是非論はあった。
当時その担当先の取引額がピ-ク時、月8,000万円、平均で月5,000~7,000万円に なることは想像もできない。
ただ5年間、ひたすら歩きかつ自分の忍耐力との勝負の時期だったと振り返る。
では、次回お楽しみに
江戸時代末期の米沢藩主の上杉鷹山という人物、ご存知でしょうか??
現代でいえば、「大赤字の会社を立て直した偉大な経営者」と呼ばれるでしょう。
私の趣味は歴史です。
たまたま、書店で「上杉鷹山」の本を買って読んでから、経営について強い関心を
抱きました。大学時代の頃の話です。
1961年、第35代米国大統領に就任したジョン・F・ケネディは、日本人記者団からこんな質問を受けた。 「あなたが、日本で最も尊敬する政治家はだれですか」
ケネディはこう答えた。「上杉鷹山(ようざん)です」
おそらく日本人記者団の中で上杉鷹山の名を知っている人はいなかっただろう。鷹山公は江戸時代に米沢藩の藩政建て直しに成功した名政治家で、財政危機に瀕する現代日本にとっても、学ぶべき所が多い。戦前は、小学校の修身教科書にも登場し、青少年に敬愛されてきた人物である。
藩主とは、国家(=藩)と人民を私有するものではなく、「民の父母」としてつくす使命がある、と鷹山は考えていた。しかし、それは決して民を甘やかすことではない。鷹山は「民の父母」としての根本方針を次の「三助」とした。
・ 自ら助ける、すなわち「自助」
・ 近隣社会が互いに助け合う、「互助」
・ 藩政府が手を伸ばす、「扶助」
出所)提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用。
今回は、新規OEM営業編~ひたすら歩く!とタイトル付けました。
大阪へ転勤してから、木材以外の新規営業をしていました。
当時、B課長の担当先だったTW社(現在この会社は存在しない)。
このTW社は、・フロ-リングの生産から製品化。
・階段・玄関框・カウンタ-などの塗装及び製品化。
・工場は5拠点。
当時、昔から名門の会社として世間の評判は上々でした。
当時の取引額は、月約200万円しかなかった。
B課長と同行営業して、キ-マンとの挨拶と各工場の生産キャパと製品品目など
の引き継ぎをした。
私は、挨拶した各キ-マンの方とお話をするため、週3回は訪問していました。
しかし、最初の3ヶ月間は、相手にもされない有様でした。
B課長は、「行って、行って、行きまくれ!」との指示。
私はキ-マンの方と1分でも話がしたく、週3回の訪問ペ-スは崩さなかった。
「いまは忙しい!」、「オレはその担当違うから、アイツに聞いてくれ! 」
など、たらい回しの時期も結構長く続きました。
半年ほど経過したある日、当時の部長が「楯、もう行っても無駄だ!、諦めろ!」と 営業活動の判断の見直しを求めた。
しかし、B課長は「楯、今のまま続けろ!責任はオレが取る!」と指示された。
半年間も訪問すると、製造メ-カ-特有の製品別内製比率が徐々に把握してきた。
要は、下請けに生産委託している製品を、当社に切り替えてもらう努力を始めた。
とにかく月200万円しかない担当先。当時の課内会議でも営業を続けるかの是非論はあった。
当時その担当先の取引額がピ-ク時、月8,000万円、平均で月5,000~7,000万円に なることは想像もできない。
ただ5年間、ひたすら歩きかつ自分の忍耐力との勝負の時期だったと振り返る。
では、次回お楽しみに
2010年1月19日火曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」新規開拓営業編~決断!25話~
読者のみなさん、こんにちは!
この2月で、会社を設立して1年6カ月を過ぎようとしています。
ほんの生まれたての小さな会社。
しかし、いろんな決断を経験した。
その決断の善悪は別にして、決断というものは大なり小なり悩みと苦悩の連続。
会社員時代、よく役員の方に「XX専務、早く決断してください!」と。
いま振り返れば、簡単に「決断」という言葉を安易に使いすぎたと反省。(ToT)/~~~
今回は、決断!
大阪へ転勤して4年経過した。
いろんな壁にぶちあたり、悪戦苦闘の日々。
しかし、この新素材の普及も進み、売上も上昇中。
それは、 ★自分の売り込み。
★先手後手の訓練。
★カミングアウト。
★商談時の粘り。
ここで一服したい気持ちはあった。
しかし、A先輩は「これからが本当の勝負だぞ!」と。
この頃新素材の販売担当は、ほぼ任されていた。
新素材の普及が進めば、市場の認知度もかなりUPするからだ。
集成材を扱う大手メ-カ-への新規拡販であった。関西にも1社あった。
その大手Y社の購買部門へ、ひたすら訪問する日々が続いた。
当然、大手Y社も競合他社が訪問する。
かつ新素材と言っていた製品は、競合他社も他のル-トから輸入していた。
その頃は、ニュ-ジ-ランドの為替レ-トを頻繁に見ていた。
現状の仕入コストから計算すると、どうしても赤字になる可能性が十分あったからだ。
A先輩は「ながなが計算している暇があったら、正式な注文取りに行け!」と。
それから2ヶ月後、継続的な販売契約を結ぶことに至った。
それはまさしく、営業戦略そのものであったことを直感した。
仮に、
Y社の注文がまだないとき、月7コンテナ-。
Y社の注文が追加されたとき、月12コンテナ-。
となったとする。
■仕入先の視点では、①安定的な注文が欲しい。
②営業拡販力が強いと評価される。
③仕入先は、製品原材料を大量に買える仕入力が増す。
④我社の仕入コストの削減が可能。
■販売先の視点では、①Y社以外の販売先へ価格還元が可能。
②仕入先を一定化することで品質・納期管理の雑務削減が可能。
「営業戦略上の決断」と言えた。
この考え方は、新規OEM営業編におおいに応用することになった。
では、次回お楽しみに!
この2月で、会社を設立して1年6カ月を過ぎようとしています。
ほんの生まれたての小さな会社。
しかし、いろんな決断を経験した。
その決断の善悪は別にして、決断というものは大なり小なり悩みと苦悩の連続。
会社員時代、よく役員の方に「XX専務、早く決断してください!」と。
いま振り返れば、簡単に「決断」という言葉を安易に使いすぎたと反省。(ToT)/~~~
今回は、決断!
大阪へ転勤して4年経過した。
いろんな壁にぶちあたり、悪戦苦闘の日々。
しかし、この新素材の普及も進み、売上も上昇中。
それは、 ★自分の売り込み。
★先手後手の訓練。
★カミングアウト。
★商談時の粘り。
ここで一服したい気持ちはあった。
しかし、A先輩は「これからが本当の勝負だぞ!」と。
この頃新素材の販売担当は、ほぼ任されていた。
新素材の普及が進めば、市場の認知度もかなりUPするからだ。
集成材を扱う大手メ-カ-への新規拡販であった。関西にも1社あった。
その大手Y社の購買部門へ、ひたすら訪問する日々が続いた。
当然、大手Y社も競合他社が訪問する。
かつ新素材と言っていた製品は、競合他社も他のル-トから輸入していた。
その頃は、ニュ-ジ-ランドの為替レ-トを頻繁に見ていた。
現状の仕入コストから計算すると、どうしても赤字になる可能性が十分あったからだ。
A先輩は「ながなが計算している暇があったら、正式な注文取りに行け!」と。
それから2ヶ月後、継続的な販売契約を結ぶことに至った。
それはまさしく、営業戦略そのものであったことを直感した。
仮に、
Y社の注文がまだないとき、月7コンテナ-。
Y社の注文が追加されたとき、月12コンテナ-。
となったとする。
■仕入先の視点では、①安定的な注文が欲しい。
②営業拡販力が強いと評価される。
③仕入先は、製品原材料を大量に買える仕入力が増す。
④我社の仕入コストの削減が可能。
■販売先の視点では、①Y社以外の販売先へ価格還元が可能。
②仕入先を一定化することで品質・納期管理の雑務削減が可能。
「営業戦略上の決断」と言えた。
この考え方は、新規OEM営業編におおいに応用することになった。
では、次回お楽しみに!
2010年1月12日火曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」新規開拓営業編~アダナ!24話~
読者のみなさん、こんにちは!
当時は、携帯電話なし。メ-ルなし。パソコンもない頃でしたからです。
「商談」といったら、対面商談が普通でした。
いまも私は、対面商談が一番大切だと確信しています。
携帯電話は良いとして、メ-ルは読み手のそのときの心理状態で誤解されるケ-ス を何回も経験しているからです。
ですから私はメ-ルを送るときは、「端的な内容」のみを送るように心掛けています。
今回は、アダナ!とタイトル付けました。
大阪へ転勤してから3年ぐらい経過しました。
いろんな壁にぶちあたり、悪戦苦闘の日々でした。
しかし、この新素材の普及にようやく小さな芽がたくさん出てきました。
それは、
★自分の売り込み。
★先手後手の訓練。
★カミングアウト。
など、地味な営業が売上を急上昇させたのではないかと振り返ります。
もう1つありました。 「商談時の粘り」です。
当時は、対面営業が主でしたので、直接担当先のキ-マンと目を見ながら商談したことです。
ときには半日とかほぼ1日、キ-マンと輸入契約の商談をしました。
木材の場合、契約1件当たり売上換算で約400万円もありました。
それを、四半期契約で毎月2件の契約を結ぶか、3件の契約を結ぶかは
個々の営業担当者の「腕」で決まりました。
キ-マンのCさんは「楯くん、うちは月2件しか契約できないぞ!」と。
私は「Cさんの現場は、月2件分は生産しちゃいますよね!」と切り返した。
Cさんは「そうだけど、他の仕入先との関係もあるしなぁ・・・」と言葉を濁しました。
私は「当社の製品の方がコストも安く、化粧単板との相性も良いといわれていましたよ」と。
Cさんは「ダメダメ、楯くんもう帰った方がいいぞ!」と話を逸らしました。
私は「Cさん、ニュ-ジ-ランドの仕入先生産キャパも限界あるので、他で契約しちゃいますよ!」と。
Cさんは「分かった、分かった、楯くんはスッポンみたいなヤツだなぁ!」と。
ついに月3件の契約を結ぶことになりました。
その後、別の担当先へ訪問した時「楯くんよ、奈良でスッポンの楯」と呼ばれているらしいなぁ。
当時は、恥ずかしかった思いでした。
私のHPにある「PASSION」の源は、ここから始まったと振り返ります。
いまの時代に通用するかどうかは、分かりません。
ただ、つねにそうした信念を持ち続けています。(体力は別にして・・)
では、次回お楽しみに!
Good Luck! (*^_^*)
当時は、携帯電話なし。メ-ルなし。パソコンもない頃でしたからです。
「商談」といったら、対面商談が普通でした。
いまも私は、対面商談が一番大切だと確信しています。
携帯電話は良いとして、メ-ルは読み手のそのときの心理状態で誤解されるケ-ス を何回も経験しているからです。
ですから私はメ-ルを送るときは、「端的な内容」のみを送るように心掛けています。
今回は、アダナ!とタイトル付けました。
大阪へ転勤してから3年ぐらい経過しました。
いろんな壁にぶちあたり、悪戦苦闘の日々でした。
しかし、この新素材の普及にようやく小さな芽がたくさん出てきました。
それは、
★自分の売り込み。
★先手後手の訓練。
★カミングアウト。
など、地味な営業が売上を急上昇させたのではないかと振り返ります。
もう1つありました。 「商談時の粘り」です。
当時は、対面営業が主でしたので、直接担当先のキ-マンと目を見ながら商談したことです。
ときには半日とかほぼ1日、キ-マンと輸入契約の商談をしました。
木材の場合、契約1件当たり売上換算で約400万円もありました。
それを、四半期契約で毎月2件の契約を結ぶか、3件の契約を結ぶかは
個々の営業担当者の「腕」で決まりました。
キ-マンのCさんは「楯くん、うちは月2件しか契約できないぞ!」と。
私は「Cさんの現場は、月2件分は生産しちゃいますよね!」と切り返した。
Cさんは「そうだけど、他の仕入先との関係もあるしなぁ・・・」と言葉を濁しました。
私は「当社の製品の方がコストも安く、化粧単板との相性も良いといわれていましたよ」と。
Cさんは「ダメダメ、楯くんもう帰った方がいいぞ!」と話を逸らしました。
私は「Cさん、ニュ-ジ-ランドの仕入先生産キャパも限界あるので、他で契約しちゃいますよ!」と。
Cさんは「分かった、分かった、楯くんはスッポンみたいなヤツだなぁ!」と。
ついに月3件の契約を結ぶことになりました。
その後、別の担当先へ訪問した時「楯くんよ、奈良でスッポンの楯」と呼ばれているらしいなぁ。
当時は、恥ずかしかった思いでした。
私のHPにある「PASSION」の源は、ここから始まったと振り返ります。
いまの時代に通用するかどうかは、分かりません。
ただ、つねにそうした信念を持ち続けています。(体力は別にして・・)
では、次回お楽しみに!
Good Luck! (*^_^*)
2009年12月22日火曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」新規開拓営業編~カミングアウト!23話~
読者のみなさん、こんにちは!
「敵討(かたきうち)」って言葉、ご存知ですか?
日本では、江戸時代で赤穂浪士の敵討が有名です。
毎年12月になると、必ずテレビで放送されます。
もともと武家社会にあった風俗である「敵討」は、江戸時代になって法制化され
ました。それと共に、条件も決められました。
敵討とは、「直接の尊属を殺害した者」に対して、決闘することを言います。
(決闘することができた反面、返討(かえりうち)になる場合もあったことも。
つまり、子供や弟、妹などを殺された場合は、「尊属」でないので敵討はできなかった。
ですから、赤穂浪士のように「主君」の敵を討つのは、認められなかった訳です。
また武士以外の庶民も敵討をすることがあったが、その場合は無許可ですることが
多く、理由がもっともであれば無罪になることが多かったようです。
しかし1873(明治6年)、すべての敵討が禁止されました。
今回は、カミングアウト!とタイトル付けました。
当時大阪へ転勤して、木質系製造メ-カ-のキ-マンとの商談の時
いわゆる業界の専門用語が、人によって少し違う言い方をされ
どの言い方が正しいのか、悩んだ時期がありました。
かつ担当先地域は、大阪・奈良・和歌山と広いようで、実はいま話した内容が
すぐ情報として飛び交う狭い業界であったと、いま私は振り返ります。
つまり担当先のキ-マンからすれば
「あの楯にこの話をして、大丈夫か?」といった警戒心が商談の中で
チラホラと見え隠れしていたと当時感じましたね。
しかし、キ-マンからしか情報を仕入れることができない。
ですから、カミングアウトするように努めました。
仕事の商談だけでは、ものの10~15分で終わるからです。
しかしカミングアウトとして個人的な話もすることで
商談時間が多少長くなり、新たな情報も入るかもしれないと思っていましたね。
やはり
知識や経験が少ない時期は、「まずは自分の売り込みをする!」を鉄則にして
ました。
でもそれは、いわゆる「胡麻擦り」とは違う意味です。
その後原材料の契約を定期的にしてくれる担当先が、増加していました。
検品依頼のときは、工場の空き地を貸してもらい検品作業をする。
そうした場面では、工場で働く現場の方とも世間話をしたりしました。
そんな場面が3年も続けば、お互いに友達感覚に自然となりました。
そんないま直ぐの売上効果はないものの、
担当先の現場の方が応援してくれる「雰囲気」がでてきて
取引関係も強いものになっていったと思います。
これが、カミングアウトの「成果」ではないかと確信しています。
キ-マンから「楯くんがいうなら、分かった!」と言われる瞬間の台詞(セリフ)。
この短い台詞(セリフ)を言われるために、営業パ-ソンは汗だくで頑張るのです!
では、次回お楽しみに!
Good Luck! (*^_^*)
「敵討(かたきうち)」って言葉、ご存知ですか?
日本では、江戸時代で赤穂浪士の敵討が有名です。
毎年12月になると、必ずテレビで放送されます。
もともと武家社会にあった風俗である「敵討」は、江戸時代になって法制化され
ました。それと共に、条件も決められました。
敵討とは、「直接の尊属を殺害した者」に対して、決闘することを言います。
(決闘することができた反面、返討(かえりうち)になる場合もあったことも。
つまり、子供や弟、妹などを殺された場合は、「尊属」でないので敵討はできなかった。
ですから、赤穂浪士のように「主君」の敵を討つのは、認められなかった訳です。
また武士以外の庶民も敵討をすることがあったが、その場合は無許可ですることが
多く、理由がもっともであれば無罪になることが多かったようです。
しかし1873(明治6年)、すべての敵討が禁止されました。
今回は、カミングアウト!とタイトル付けました。
当時大阪へ転勤して、木質系製造メ-カ-のキ-マンとの商談の時
いわゆる業界の専門用語が、人によって少し違う言い方をされ
どの言い方が正しいのか、悩んだ時期がありました。
かつ担当先地域は、大阪・奈良・和歌山と広いようで、実はいま話した内容が
すぐ情報として飛び交う狭い業界であったと、いま私は振り返ります。
つまり担当先のキ-マンからすれば
「あの楯にこの話をして、大丈夫か?」といった警戒心が商談の中で
チラホラと見え隠れしていたと当時感じましたね。
しかし、キ-マンからしか情報を仕入れることができない。
ですから、カミングアウトするように努めました。
仕事の商談だけでは、ものの10~15分で終わるからです。
しかしカミングアウトとして個人的な話もすることで
商談時間が多少長くなり、新たな情報も入るかもしれないと思っていましたね。
やはり
知識や経験が少ない時期は、「まずは自分の売り込みをする!」を鉄則にして
ました。
でもそれは、いわゆる「胡麻擦り」とは違う意味です。
その後原材料の契約を定期的にしてくれる担当先が、増加していました。
検品依頼のときは、工場の空き地を貸してもらい検品作業をする。
そうした場面では、工場で働く現場の方とも世間話をしたりしました。
そんな場面が3年も続けば、お互いに友達感覚に自然となりました。
そんないま直ぐの売上効果はないものの、
担当先の現場の方が応援してくれる「雰囲気」がでてきて
取引関係も強いものになっていったと思います。
これが、カミングアウトの「成果」ではないかと確信しています。
キ-マンから「楯くんがいうなら、分かった!」と言われる瞬間の台詞(セリフ)。
この短い台詞(セリフ)を言われるために、営業パ-ソンは汗だくで頑張るのです!
では、次回お楽しみに!
Good Luck! (*^_^*)
2009年12月15日火曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」新規開拓営業編~先手後手!22話~
読者のみなさん、こんにちは!
観光地の1つとして東京に「皇居」があります。
私も、中学の修学旅行は東京でした。
皇居は勿論、国会議事堂、上野動物園、後楽園遊園地など観光しました。
さて、江戸幕府の中心地が江戸城です。今の皇居で、別名を千代田城と言います。
徳川家康が関東を領土として与えられ江戸に入ったのが1590年のこと。
もともと江戸城を建てたのは、江戸重継という平安から鎌倉時代初期にかけての頃。
1868年の明治維新により、江戸城は明治新政府軍に明け渡さました。
最初は、「東京城(とうけいじょう)」、それから「皇城」となり、1888年に
「宮城」と改称され、戦後の1948年に今の「皇居」となりました。
今回は、先手後手!とタイトル付けました。
大阪へ転勤してから2年目、
担当先は(販売先)は、住宅の内装部材を専門とする製造メ-カ-であったことは
今までの連載でお話しました。
この担当先へ販売する物は、ニュ-ジ-ランド産の松の集成材でした。
担当先のキ-マンとの商談は、まだまだ苦戦の連続でした。
それは、キ-マンの考え方や性格も多分にあるかと思います。
いま現在使用している原材料の品質と価格が安定していれば、新素材の原材料へ
切り替える必要性がないからでした。
しかし、キ-マンとの商談を重ねるうちに
★北米の原材料は、コスト変動の波が実はあったこと。
★北米の原材料のコストと比較して、10%以上安価であったこと。
★この原材料は加工後、天然の化粧単板を貼る。
※原材料の木地と単板の相性が良いこと。
何も原材料は、契約に至ってないが
私は、「担当先のキ-マンは、商談を重ねるごとに少しづつ新素材の評価を
してくれているんだ!」と。
その後、サンプル契約にこぎ着けることになった。
しかし、輸入された材料の件で、キ-マンから電話があった。
キ-マンは「縦方向に弓なりに反っている!」「横方向にカップリングしてるぞ!」
こうした案件は、「何時だろうが、すぐ担当先へ行く!」が鉄則でした。
300~400本の材料の反りとカップリングを計測して、全体で何%ぐらい混入しているのか予測数値を出し、キ-マンへお渡しした。
キ-マンは「まあ、この程度ならいいわ!」とおっしゃってくれました。
最悪のクレ-ムは回避できた。
先手後手とは、この対応を「今日は都合悪いので、明日お邪魔します!」と
営業パ-ソンがキ-マンへ話したらどうなるでしょうか?
相当取引が長く人間関係が良い環境でなければ、かなりの確率でクレ-ム
値引きを要求される恐れ大。
1回後手を引くと、裏技がない限りキ-マンとの関係修復に時間を費やすのでは・・・
私は不器用でしたので、過去に後手後手になった苦い経験しましたから。
では、次回お楽しみに!
Good Luck!(*^_^*)
観光地の1つとして東京に「皇居」があります。
私も、中学の修学旅行は東京でした。
皇居は勿論、国会議事堂、上野動物園、後楽園遊園地など観光しました。
さて、江戸幕府の中心地が江戸城です。今の皇居で、別名を千代田城と言います。
徳川家康が関東を領土として与えられ江戸に入ったのが1590年のこと。
もともと江戸城を建てたのは、江戸重継という平安から鎌倉時代初期にかけての頃。
1868年の明治維新により、江戸城は明治新政府軍に明け渡さました。
最初は、「東京城(とうけいじょう)」、それから「皇城」となり、1888年に
「宮城」と改称され、戦後の1948年に今の「皇居」となりました。
今回は、先手後手!とタイトル付けました。
大阪へ転勤してから2年目、
担当先は(販売先)は、住宅の内装部材を専門とする製造メ-カ-であったことは
今までの連載でお話しました。
この担当先へ販売する物は、ニュ-ジ-ランド産の松の集成材でした。
担当先のキ-マンとの商談は、まだまだ苦戦の連続でした。
それは、キ-マンの考え方や性格も多分にあるかと思います。
いま現在使用している原材料の品質と価格が安定していれば、新素材の原材料へ
切り替える必要性がないからでした。
しかし、キ-マンとの商談を重ねるうちに
★北米の原材料は、コスト変動の波が実はあったこと。
★北米の原材料のコストと比較して、10%以上安価であったこと。
★この原材料は加工後、天然の化粧単板を貼る。
※原材料の木地と単板の相性が良いこと。
何も原材料は、契約に至ってないが
私は、「担当先のキ-マンは、商談を重ねるごとに少しづつ新素材の評価を
してくれているんだ!」と。
その後、サンプル契約にこぎ着けることになった。
しかし、輸入された材料の件で、キ-マンから電話があった。
キ-マンは「縦方向に弓なりに反っている!」「横方向にカップリングしてるぞ!」
こうした案件は、「何時だろうが、すぐ担当先へ行く!」が鉄則でした。
300~400本の材料の反りとカップリングを計測して、全体で何%ぐらい混入しているのか予測数値を出し、キ-マンへお渡しした。
キ-マンは「まあ、この程度ならいいわ!」とおっしゃってくれました。
最悪のクレ-ムは回避できた。
先手後手とは、この対応を「今日は都合悪いので、明日お邪魔します!」と
営業パ-ソンがキ-マンへ話したらどうなるでしょうか?
相当取引が長く人間関係が良い環境でなければ、かなりの確率でクレ-ム
値引きを要求される恐れ大。
1回後手を引くと、裏技がない限りキ-マンとの関係修復に時間を費やすのでは・・・
私は不器用でしたので、過去に後手後手になった苦い経験しましたから。
では、次回お楽しみに!
Good Luck!(*^_^*)
2009年12月8日火曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」~OJT&OFF-JT!21話~
読者のみなさん、こんにちは!
去年のNHK「篤姫」は、大変人気のあった時代劇でした。
「○○姫」という呼び方をします。
なぜこんな呼び方をするのか、みなさんご存知でしょうか?!
日本では「王子」が法的に存在しません。ですから「姫」も法的な身分として
はありませんでした。
ただ、この呼称は古くから高貴な身分の女性に対して使われていました。
皇室に限らず、公家あるいは武家でも将軍家、大名などの家の息女の
敬称で、○○姫という敬称は一般的でした。
ちなみに、「古事記」「日本書紀」に登場する女の神様も、○○姫が多いことで
「姫」とは、「女」という意味でした。
ですから、「姫」と呼ぶ定義はありませんでした。
今回、OJT&OFF-JT!とタイトル付けました。
OJTは、On the job trainingの略語。(=職場内訓練)
OFF-JTは、OFF-the job trainingの略語。(=職場外訓練)
OJTは、会社が全額負担して、社員の仕事における知識や技能などスキルUPする目的。
OFF-JTは、社員が自主的に費用を負担して、勤務時間外にスキルUPする目的
この不景気な経済では、OJTどころか給与の昇給ゼロとか一部手当てカットされる現状ではないでしょうか!
平成3~10年の商社の7年間、
人事部から、通信教育講座として
・ 貿易実務
・ 財務管理
・ 法務管理
など、その通信講座で60点以上の点数を取らないと、社内級が上がらない制度に
なっていました。勿論、会社負担。
営業職とは、物を売ってから代金を回収するまでが職責。
それ以外に、
毎期担当先(販売先)の決算書をもらい、決算書の内容の説明を聞き、質問もしました。
新規の取引先と売買を開始する前は、「基本取引契約書」を交わすことが前提条件に
なるケ-スが多かったです。
ですから、決算書の分析の仕方とか契約に関する法律も、OJTもOFF-JTもしなければ落第になってしまうような感覚でした。
ただ、新規先の社長に対し、知識や経験の乏しかった私が、
社長さん「この契約書の内容で、押印頂けますか?」という
セリフの場面は、超緊張した記憶が残っております。
ところで、最近NHKで「元気な会社特集」を見ました。
その会社の社長は、
「経済が不景気になると、社員の給与を大幅にUPするんです」と・・・。
かつその社長は、
「社員が生活に不安を感じたら、良い仕事できないですから」と・・・。
社員へのインタビュ-で「不景気な今が、ビジネス・チャンス!」と
ニコニコしていました。
私は思いました。
この社長流の「心イキイキ、OJT!」だと(*^_^*)
では、次回お楽しみに!
Good Luck!
去年のNHK「篤姫」は、大変人気のあった時代劇でした。
「○○姫」という呼び方をします。
なぜこんな呼び方をするのか、みなさんご存知でしょうか?!
日本では「王子」が法的に存在しません。ですから「姫」も法的な身分として
はありませんでした。
ただ、この呼称は古くから高貴な身分の女性に対して使われていました。
皇室に限らず、公家あるいは武家でも将軍家、大名などの家の息女の
敬称で、○○姫という敬称は一般的でした。
ちなみに、「古事記」「日本書紀」に登場する女の神様も、○○姫が多いことで
「姫」とは、「女」という意味でした。
ですから、「姫」と呼ぶ定義はありませんでした。
今回、OJT&OFF-JT!とタイトル付けました。
OJTは、On the job trainingの略語。(=職場内訓練)
OFF-JTは、OFF-the job trainingの略語。(=職場外訓練)
OJTは、会社が全額負担して、社員の仕事における知識や技能などスキルUPする目的。
OFF-JTは、社員が自主的に費用を負担して、勤務時間外にスキルUPする目的
この不景気な経済では、OJTどころか給与の昇給ゼロとか一部手当てカットされる現状ではないでしょうか!
平成3~10年の商社の7年間、
人事部から、通信教育講座として
・ 貿易実務
・ 財務管理
・ 法務管理
など、その通信講座で60点以上の点数を取らないと、社内級が上がらない制度に
なっていました。勿論、会社負担。
営業職とは、物を売ってから代金を回収するまでが職責。
それ以外に、
毎期担当先(販売先)の決算書をもらい、決算書の内容の説明を聞き、質問もしました。
新規の取引先と売買を開始する前は、「基本取引契約書」を交わすことが前提条件に
なるケ-スが多かったです。
ですから、決算書の分析の仕方とか契約に関する法律も、OJTもOFF-JTもしなければ落第になってしまうような感覚でした。
ただ、新規先の社長に対し、知識や経験の乏しかった私が、
社長さん「この契約書の内容で、押印頂けますか?」という
セリフの場面は、超緊張した記憶が残っております。
ところで、最近NHKで「元気な会社特集」を見ました。
その会社の社長は、
「経済が不景気になると、社員の給与を大幅にUPするんです」と・・・。
かつその社長は、
「社員が生活に不安を感じたら、良い仕事できないですから」と・・・。
社員へのインタビュ-で「不景気な今が、ビジネス・チャンス!」と
ニコニコしていました。
私は思いました。
この社長流の「心イキイキ、OJT!」だと(*^_^*)
では、次回お楽しみに!
Good Luck!
2009年11月24日火曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」 ~ロジカル思考!20話~
読者のみなさん、こんにちは!
小学校時代から、
私は大の国語嫌いでした。
特に感想文や作文なんかは、嫌いでした。
ちなみにこの歳になるまで、マンガを読んだことがないんです!
よく仕事で東京へ出張した時、
新幹線の中で、マンガを読みながら笑いを堪えている人を見ると
「なんで文字と絵で、笑える!」とかと、今でも不思議に思えます。
ですから、今こうしてブログの連載をしているのは、
私にとっては奇跡に近いことになります。
さて今回は、ロジカル思考!とタイトル付けました。
私が、ロジカル思考について書く器ではないですが・・・。
商社に入社してから、
上司や先輩への「報告」や「意見」の仕方について
まったく要領の悪い話し方で、頻繁に指導されていました。
「あっ、もっと学生時代に国語の勉強しておけば・・」と、
当時よく後悔した記憶があります。
担当先へ訪問し、商談を済ませて帰社。
A先輩へ「今日の商談の報告をしたいのですが・・・?」
私は「今日は、3つの件を報告します」と。
私は「1つめの件は、○○○・・・○○○・・・でした。従って、○○○・・・
を○○○としたいと考えております。」と。
A先輩は「あのな、楯よ!俺も忙しいんだ、結局なにがいいたいんだ!30秒で
報告するようにしろ!」と。
つまり、頭の中で整理されているようで、されていないこと。
「状況説明」→「結論」であったので、聞き手はイライラするはず。
何気ない、「報告の仕方」「要領の悪い話し方」で、私と同じ経験や今悩んでいる
方もいるのではないでしょうか?
もしそのような事で悩んでいる方には、「ロジカル・シンキング」と言う書籍関係
を、一度読んで頂くことをお勧めします!
意外と、新しい発見が見つかるかと思いますよ!
しかし、私も社会人になってから、必要に迫られて本をよく読むようになりました。
やはり学校で学問を学ぶことと、社会人に必要な能力は少し違いがあると思います。
「先生から教えてもらうのか、自分からか・・・」です。
では、次回お楽しみに!
PS:11/18、HPを大幅にリニュ-アルしました。
今回「事例」及び「事例研究」について概要を記載しましたが、これだけでは説明は物足りません。
来年1月から「事例」及び「事例研究」について、ブログにて詳しく解説する予定です。
このHPとブログが、少しでもご参考になれば光栄と思っております。
小学校時代から、
私は大の国語嫌いでした。
特に感想文や作文なんかは、嫌いでした。
ちなみにこの歳になるまで、マンガを読んだことがないんです!
よく仕事で東京へ出張した時、
新幹線の中で、マンガを読みながら笑いを堪えている人を見ると
「なんで文字と絵で、笑える!」とかと、今でも不思議に思えます。
ですから、今こうしてブログの連載をしているのは、
私にとっては奇跡に近いことになります。
さて今回は、ロジカル思考!とタイトル付けました。
私が、ロジカル思考について書く器ではないですが・・・。
商社に入社してから、
上司や先輩への「報告」や「意見」の仕方について
まったく要領の悪い話し方で、頻繁に指導されていました。
「あっ、もっと学生時代に国語の勉強しておけば・・」と、
当時よく後悔した記憶があります。
担当先へ訪問し、商談を済ませて帰社。
A先輩へ「今日の商談の報告をしたいのですが・・・?」
私は「今日は、3つの件を報告します」と。
私は「1つめの件は、○○○・・・○○○・・・でした。従って、○○○・・・
を○○○としたいと考えております。」と。
A先輩は「あのな、楯よ!俺も忙しいんだ、結局なにがいいたいんだ!30秒で
報告するようにしろ!」と。
つまり、頭の中で整理されているようで、されていないこと。
「状況説明」→「結論」であったので、聞き手はイライラするはず。
何気ない、「報告の仕方」「要領の悪い話し方」で、私と同じ経験や今悩んでいる
方もいるのではないでしょうか?
もしそのような事で悩んでいる方には、「ロジカル・シンキング」と言う書籍関係
を、一度読んで頂くことをお勧めします!
意外と、新しい発見が見つかるかと思いますよ!
しかし、私も社会人になってから、必要に迫られて本をよく読むようになりました。
やはり学校で学問を学ぶことと、社会人に必要な能力は少し違いがあると思います。
「先生から教えてもらうのか、自分からか・・・」です。
では、次回お楽しみに!
PS:11/18、HPを大幅にリニュ-アルしました。
今回「事例」及び「事例研究」について概要を記載しましたが、これだけでは説明は物足りません。
来年1月から「事例」及び「事例研究」について、ブログにて詳しく解説する予定です。
このHPとブログが、少しでもご参考になれば光栄と思っております。
2009年8月24日月曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」 ~在庫で知る!19話~
読者のみなさん、こんにちは!楯です。
今回は、私が知った「面白い病院系の台湾語」を紹介します。
読者の皆さんの中には、ご存知の方もみえるかと思いますが。
私は、日本語と台湾語の違いの面白さを★印で書いてみました。
★整形外科=骨科 面白さ度★★★★★
★美容外科=整形外科 面白さ度★★★
★歯科=牙科 面白さ度★★★★
★耳鼻咽喉科=耳鼻喉科 面白さ度★
★産婦人科=婦産科 面白さ度★★
読者のあなたの面白さ度は、★印がいくつになりますか?
さて、
今回、在庫で知る!とタイトル付けました。
商社の大阪勤務時代、
担当先を7社持つことになった話はしました。
初陣から数ヶ月間は、A先輩と頻繁に同行営業しました。
私の担当先は、製造メ-カ-でしたので
よくA先輩と担当先の倉庫を見せてもらいました。
当時、木材の原材料は輸入材が多かったからでした。
輸入材の多くは、米国やカナダの原材料がメインでした。
A先輩は、「楯、この原材料のシ-トに書いている英語のスペルを全て手帳に書け!」と。会社名、原材料名、サイズ、数量などを、メモしていました。
A先輩は「楯、この担当先の月間生産量は何m3だ?」と聞かれました。
私は「よく分かりません」と答えました。
A先輩は「よく分からないと言うことは、少しは分かるのか?」と。
私は「え~と!」と。
A先輩は「分かるのか、分からないのか、どっちや?」と立て続けの質問。
A先輩は「分からないなら、分かりませんと答えろ!曖昧な理解は、理解していない
ことと一緒だぞ、楯君ょ」と。
A先輩は「楯、この担当先は月産100m3だから、適正在庫は400-500m3だぞ!
大体、製造メ-カ-の在庫は約4-5カ月と覚えろなぁ!」
A先輩の言い方は厳しいが、正論であり根拠が明確でありました。
後に、新素材の新規拡販営業は、お客様の倉庫の在庫を見ることが基本中の基本と
なりました。
「在庫で知る」と言うことは、お客様のお腹の状況や情報を知るといった、
重要な要素でした。
■ 仕入先の情報
■ 売れ行き状況(在庫が増えれば、売上減少か過剰仕入などの予測可能)
■ 仕入交渉の時期の予測(北米材は四半期単位の値決めでしたので)
など、これも大切な営業でした。
幾つかの担当先へ訪問すると、
■ 仕入先の共通点
■ 仕入価格の違い
■ サイズの共通点
■ 売上見込みの逆算合計
など、だんだん市場の規模が分かってくること。
そうした、まだまだ売上に近づかない、地道な情報収集が
新素材の開拓営業に、大きな役割を果たすことになりました。
18話の初陣から、1年経過しました。
依然、月売上の伸びはゼロの状態でした。
気持ちは、忍耐と粘りの精神力だけで仕事していましたね。

高雄の85階建てビルからの風景写真。
では、次回お楽しみに!
今回は、私が知った「面白い病院系の台湾語」を紹介します。
読者の皆さんの中には、ご存知の方もみえるかと思いますが。
私は、日本語と台湾語の違いの面白さを★印で書いてみました。
★整形外科=骨科 面白さ度★★★★★
★美容外科=整形外科 面白さ度★★★
★歯科=牙科 面白さ度★★★★
★耳鼻咽喉科=耳鼻喉科 面白さ度★
★産婦人科=婦産科 面白さ度★★
読者のあなたの面白さ度は、★印がいくつになりますか?
さて、
今回、在庫で知る!とタイトル付けました。
商社の大阪勤務時代、
担当先を7社持つことになった話はしました。
初陣から数ヶ月間は、A先輩と頻繁に同行営業しました。
私の担当先は、製造メ-カ-でしたので
よくA先輩と担当先の倉庫を見せてもらいました。
当時、木材の原材料は輸入材が多かったからでした。
輸入材の多くは、米国やカナダの原材料がメインでした。
A先輩は、「楯、この原材料のシ-トに書いている英語のスペルを全て手帳に書け!」と。会社名、原材料名、サイズ、数量などを、メモしていました。
A先輩は「楯、この担当先の月間生産量は何m3だ?」と聞かれました。
私は「よく分かりません」と答えました。
A先輩は「よく分からないと言うことは、少しは分かるのか?」と。
私は「え~と!」と。
A先輩は「分かるのか、分からないのか、どっちや?」と立て続けの質問。
A先輩は「分からないなら、分かりませんと答えろ!曖昧な理解は、理解していない
ことと一緒だぞ、楯君ょ」と。
A先輩は「楯、この担当先は月産100m3だから、適正在庫は400-500m3だぞ!
大体、製造メ-カ-の在庫は約4-5カ月と覚えろなぁ!」
A先輩の言い方は厳しいが、正論であり根拠が明確でありました。
後に、新素材の新規拡販営業は、お客様の倉庫の在庫を見ることが基本中の基本と
なりました。
「在庫で知る」と言うことは、お客様のお腹の状況や情報を知るといった、
重要な要素でした。
■ 仕入先の情報
■ 売れ行き状況(在庫が増えれば、売上減少か過剰仕入などの予測可能)
■ 仕入交渉の時期の予測(北米材は四半期単位の値決めでしたので)
など、これも大切な営業でした。
幾つかの担当先へ訪問すると、
■ 仕入先の共通点
■ 仕入価格の違い
■ サイズの共通点
■ 売上見込みの逆算合計
など、だんだん市場の規模が分かってくること。
そうした、まだまだ売上に近づかない、地道な情報収集が
新素材の開拓営業に、大きな役割を果たすことになりました。
18話の初陣から、1年経過しました。
依然、月売上の伸びはゼロの状態でした。
気持ちは、忍耐と粘りの精神力だけで仕事していましたね。
高雄の85階建てビルからの風景写真。
では、次回お楽しみに!
2009年8月3日月曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」 ~初陣!18話~
ご来訪いつも感謝しています。代表の楯です。
初陣(Uigin)という言葉、ご存知ですか?
この言葉は、戦国時代や江戸時代の武士の間で使われたものです。
初陣とは、武士(父親)の10代の息子が初めて戦(Ikusa)で戦う(Tatakau)時に
使われたものです。(ドラマなんかで、よく耳にします)
昔から歴史オタクかもしれません。
今年入社した新人社員も、営業職の方なら1人で担当先を回る営業に
でる時期ではないでしょうか?
それは、初陣ですよね。(独り立ちです)
最初の訪問先って、バッチリ営業できた方も多いのではないでしょうか。
さて、
今回、初陣!とタイトル付けました。
商社の大阪へ転勤し半年、
担当先を7社持つことになりました。
初陣は、奈良県にある集成材メ-カ-への訪問でした。
この担当先は、A先輩から引き継いだ先。
大阪から特急で約1時間30分。
当日、A先輩から「いまどんな状況か、よく聞いて来いやぁ」と助言されました。
楯は電車の中で、ノ-トに書いていたことを、必死に覚えていました。
また頭の中で「こんな事聞いたら、お客さんはどう応え、その後楯にどんな事
聞いてくるだろうか!」とそんな空想を必死に考えていました。
とにかくお客さんから「専門用語を使った話を聞いたとき、どう対応しらいいのか!」
を心配していた記憶があります。
楯は、最寄の駅で降り「こんな事、あんな事、聞かれたら」と
駅の待合室で、2時間も考えていました。
すでに担当先との訪問時刻は、当に過ぎていました。
かれこれ3時間が過ぎて、やむなく会社へ帰社してしまいました。
これが、楯の「初陣」でした。
非常に、恥ずかしい初陣となりました。
A先輩は「楯なぁ、お客さんはプロだろ!勝てるわけないから、○○専務に
教えてもらえ!」と。
また、「教えてもらったことを、仕事で返せばいいだろぅ!」とアドバイス
されました。
その間の5年間、北米材の輸入契約の継続的な取引が続き
売上は0→月10,000万円まで伸びました。
それはそれとして、毎年暮れに忘年会に招待されました。
かつ
その担当先の会社の下に、吉野川がありました。
楯はバ-ベキュ-をしたいので「専務!養殖の鮎をお願いできますか?当日お支払
しますので・・・」と、ずうずうしいお願いをしちゃいました。
当日、バ-ベキュ-してる時「楯くんゃ、鮎たくさんつれたわ!」と
専務が来ました。
専務は「俺と工場の連中で、朝4時からして、天然ものを食べさせてやりたかった
からな!」と。
昔この専務は「仕事だけって言う、お客さんはあまり好きじゃないなぁ!」と
ポツリ。
非常に人情味のある方でした。
確かに、初陣は恥ずかしいものでした。
しかしその後楯は、担当先の専務に
「教えてもらいながら、営業や商談のコツ」を学びました。
以前若い営業パ-ソンが、何十人も挫折し離職して行く光景を見てきました。
その若い営業パ-ソンは、プライドが強すぎたのか・・・!
上司や先輩に教えてもらう環境になかったのか!
詳しいことは分かりませんが。
1つ言えることは、「プライドの強い人」は、営業職はムリです。
それは、「相手の意見やアドバイス」を聞けないからです。
楯は初陣に、大失敗しました。
しかしいまブログに書いているのは、過去の話です。
いつ、どこであなたにチャンスが来るかわかりませんが、
その時にそのチャンスをしっかり掴んで欲しいものです!
ところで良いことばかりでは、ありませんでした。
※担当先の中で、初めて「出入り禁止令」を告げられ、担当を降ろされた件。
※担当先へ、取引中止を告げ大喧嘩になったりした件。
日頃の「人間関係の作り方」が未熟であったと反省したこともありました。
やはり、「自分の価値観が、相手には違う解釈をされる」といったリスクは
いつの時代も同じです。
楯もあります。「メ-ルは早くて便利」ですが、その文章を書いた人とは違う解釈
をしてしまうミス。結局電話か会って確認する作業が入ります。
営業パ-ソンの皆さん、初陣された方、まだの方、頑張ってくださいね!
図1元蒋総統訪れたお店看板の写真。

元蒋総統訪れ「美味い」と言ったお店。(高雄市から更に南部)
図2お店で撮った豚足料理の写真。

豚足の切り身に肉。日本のテレビ局も多々取材。
では、次回お楽しみに!
初陣(Uigin)という言葉、ご存知ですか?
この言葉は、戦国時代や江戸時代の武士の間で使われたものです。
初陣とは、武士(父親)の10代の息子が初めて戦(Ikusa)で戦う(Tatakau)時に
使われたものです。(ドラマなんかで、よく耳にします)
昔から歴史オタクかもしれません。
今年入社した新人社員も、営業職の方なら1人で担当先を回る営業に
でる時期ではないでしょうか?
それは、初陣ですよね。(独り立ちです)
最初の訪問先って、バッチリ営業できた方も多いのではないでしょうか。
さて、
今回、初陣!とタイトル付けました。
商社の大阪へ転勤し半年、
担当先を7社持つことになりました。
初陣は、奈良県にある集成材メ-カ-への訪問でした。
この担当先は、A先輩から引き継いだ先。
大阪から特急で約1時間30分。
当日、A先輩から「いまどんな状況か、よく聞いて来いやぁ」と助言されました。
楯は電車の中で、ノ-トに書いていたことを、必死に覚えていました。
また頭の中で「こんな事聞いたら、お客さんはどう応え、その後楯にどんな事
聞いてくるだろうか!」とそんな空想を必死に考えていました。
とにかくお客さんから「専門用語を使った話を聞いたとき、どう対応しらいいのか!」
を心配していた記憶があります。
楯は、最寄の駅で降り「こんな事、あんな事、聞かれたら」と
駅の待合室で、2時間も考えていました。
すでに担当先との訪問時刻は、当に過ぎていました。
かれこれ3時間が過ぎて、やむなく会社へ帰社してしまいました。
これが、楯の「初陣」でした。
非常に、恥ずかしい初陣となりました。
A先輩は「楯なぁ、お客さんはプロだろ!勝てるわけないから、○○専務に
教えてもらえ!」と。
また、「教えてもらったことを、仕事で返せばいいだろぅ!」とアドバイス
されました。
その間の5年間、北米材の輸入契約の継続的な取引が続き
売上は0→月10,000万円まで伸びました。
それはそれとして、毎年暮れに忘年会に招待されました。
かつ
その担当先の会社の下に、吉野川がありました。
楯はバ-ベキュ-をしたいので「専務!養殖の鮎をお願いできますか?当日お支払
しますので・・・」と、ずうずうしいお願いをしちゃいました。
当日、バ-ベキュ-してる時「楯くんゃ、鮎たくさんつれたわ!」と
専務が来ました。
専務は「俺と工場の連中で、朝4時からして、天然ものを食べさせてやりたかった
からな!」と。
昔この専務は「仕事だけって言う、お客さんはあまり好きじゃないなぁ!」と
ポツリ。
非常に人情味のある方でした。
確かに、初陣は恥ずかしいものでした。
しかしその後楯は、担当先の専務に
「教えてもらいながら、営業や商談のコツ」を学びました。
以前若い営業パ-ソンが、何十人も挫折し離職して行く光景を見てきました。
その若い営業パ-ソンは、プライドが強すぎたのか・・・!
上司や先輩に教えてもらう環境になかったのか!
詳しいことは分かりませんが。
1つ言えることは、「プライドの強い人」は、営業職はムリです。
それは、「相手の意見やアドバイス」を聞けないからです。
楯は初陣に、大失敗しました。
しかしいまブログに書いているのは、過去の話です。
いつ、どこであなたにチャンスが来るかわかりませんが、
その時にそのチャンスをしっかり掴んで欲しいものです!
ところで良いことばかりでは、ありませんでした。
※担当先の中で、初めて「出入り禁止令」を告げられ、担当を降ろされた件。
※担当先へ、取引中止を告げ大喧嘩になったりした件。
日頃の「人間関係の作り方」が未熟であったと反省したこともありました。
やはり、「自分の価値観が、相手には違う解釈をされる」といったリスクは
いつの時代も同じです。
楯もあります。「メ-ルは早くて便利」ですが、その文章を書いた人とは違う解釈
をしてしまうミス。結局電話か会って確認する作業が入ります。
営業パ-ソンの皆さん、初陣された方、まだの方、頑張ってくださいね!
図1元蒋総統訪れたお店看板の写真。
元蒋総統訪れ「美味い」と言ったお店。(高雄市から更に南部)
図2お店で撮った豚足料理の写真。
豚足の切り身に肉。日本のテレビ局も多々取材。
では、次回お楽しみに!
2009年6月23日火曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」~担当先決定!17話~
ご来訪、いつも感謝しています。楯です。
今年入社された新人営業パ-ソンの皆さんも、
9月から担当先を持って意気揚々と「自分の未来」に向けて
日々、勉強されているかと推測しています。
昨今の企業の採用傾向は、ズバリ「即戦力」であるかと思います。
つまり「新人社員の能力」を要求されているわけです。
それだけ、今の新人社員の皆さんは、会社から期待されているとも
言えますね!
そうした意味では、「働き甲斐」や「自己啓発」などモチベ-ションは高揚し
経済状況が良くなくても、恵まれた環境と考えたほうが良いと思いますよ!
さて、
今回、担当先決定!とタイトル付けました。
平成5年4月に大阪へ転勤し、
■ 貿易実務の勉強
■ 木材業界の背景と現状
■ 木材業界特有の専門用語の勉強
■ 検品で木材を体感
■上司や先輩の担当先へ同行営業
など、半年間でいろんな研修をさせて頂きました。
そして同年10月、
担当先(得意先)7社を受け持つことになりました。
7社の中の1社は、大手総合建材メ-カ-T社の子会社。
後に「売上10倍」に大きく影響した担当先でありました。
後の6社は、集成材メ-カ-でした。(奈良県・大阪府・和歌山県)
後にこの担当先では、ニュ-ジ-ランド材のラジア-タパイン製品の輸入販売
で「売上10倍」に大きく影響した得意先でした。
楯の担当先は、最初の1年目は7社で、売上は月10,000万円でした。
大阪でも同期会を、たまにしていました。
居酒屋で飲んでいる席で、
ある同期曰く「だいたい、商社マンは月数億円の担当先を持つのが普通だろ!」と。
続けて「楯なぁ!月10,000万円で自分の給与と管理部門2名の事務員の経費は
稼がないとな-!」と。
これは同期の仲間の会話でしたが、楯は何も言うことできませんでした。
しかし楯は内心、「負けたくない!」という闘志が湧きましたね。
結果的に5年後に、月1億円以上の売上実績を残しましたが、
それは楯に「即戦力のような能力」など、何もなく
あくまで上司や先輩から教わりながらの結果でした。
つまり凡人でも「粘り強く継続する頑張りや情熱を持っていれば、誰にでも
可能性はあること!」と。
(学歴が優秀なら、仕事も優秀か?とは決して言えないこと)
去年の暮れに、お世話になった元上司と久しぶりに会いました。
元上司は「楯くんは、いつまでたっても不器用だな-!」と。
元上司は「お前は、仕事に対する情意だけは良かった」と。
当時、この元上司と楯は、
市場導入期にあった、ニュ-ジ-ランド材のラジア-タパイン製品の
拡販活動を粘り強く続けました。
ちなみに、
タイトルの「営業パ-ソン、がんばれ!」の「がんばれ!」とは、
「情意や情熱の持続」という意味を籠めています。
では、次回お楽しみに!
高雄滞在中、人参入りのお茶を御馳走になりました。
今年入社された新人営業パ-ソンの皆さんも、
9月から担当先を持って意気揚々と「自分の未来」に向けて
日々、勉強されているかと推測しています。
昨今の企業の採用傾向は、ズバリ「即戦力」であるかと思います。
つまり「新人社員の能力」を要求されているわけです。
それだけ、今の新人社員の皆さんは、会社から期待されているとも
言えますね!
そうした意味では、「働き甲斐」や「自己啓発」などモチベ-ションは高揚し
経済状況が良くなくても、恵まれた環境と考えたほうが良いと思いますよ!
さて、
今回、担当先決定!とタイトル付けました。
平成5年4月に大阪へ転勤し、
■ 貿易実務の勉強
■ 木材業界の背景と現状
■ 木材業界特有の専門用語の勉強
■ 検品で木材を体感
■上司や先輩の担当先へ同行営業
など、半年間でいろんな研修をさせて頂きました。
そして同年10月、
担当先(得意先)7社を受け持つことになりました。
7社の中の1社は、大手総合建材メ-カ-T社の子会社。
後に「売上10倍」に大きく影響した担当先でありました。
後の6社は、集成材メ-カ-でした。(奈良県・大阪府・和歌山県)
後にこの担当先では、ニュ-ジ-ランド材のラジア-タパイン製品の輸入販売
で「売上10倍」に大きく影響した得意先でした。
楯の担当先は、最初の1年目は7社で、売上は月10,000万円でした。
大阪でも同期会を、たまにしていました。
居酒屋で飲んでいる席で、
ある同期曰く「だいたい、商社マンは月数億円の担当先を持つのが普通だろ!」と。
続けて「楯なぁ!月10,000万円で自分の給与と管理部門2名の事務員の経費は
稼がないとな-!」と。
これは同期の仲間の会話でしたが、楯は何も言うことできませんでした。
しかし楯は内心、「負けたくない!」という闘志が湧きましたね。
結果的に5年後に、月1億円以上の売上実績を残しましたが、
それは楯に「即戦力のような能力」など、何もなく
あくまで上司や先輩から教わりながらの結果でした。
つまり凡人でも「粘り強く継続する頑張りや情熱を持っていれば、誰にでも
可能性はあること!」と。
(学歴が優秀なら、仕事も優秀か?とは決して言えないこと)
去年の暮れに、お世話になった元上司と久しぶりに会いました。
元上司は「楯くんは、いつまでたっても不器用だな-!」と。
元上司は「お前は、仕事に対する情意だけは良かった」と。
当時、この元上司と楯は、
市場導入期にあった、ニュ-ジ-ランド材のラジア-タパイン製品の
拡販活動を粘り強く続けました。
ちなみに、
タイトルの「営業パ-ソン、がんばれ!」の「がんばれ!」とは、
「情意や情熱の持続」という意味を籠めています。
では、次回お楽しみに!
高雄滞在中、人参入りのお茶を御馳走になりました。
2009年6月5日金曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」~方言!16話~
ご来訪、いつも感謝しています。楯です。
どの国、どの地域にも、言語は違っても「方言」はあるのでは
ないでしょうか!
日本には、東京弁が標準語、名古屋弁、博多弁、関西弁など多々あります。
沖縄や青森の言葉、テレビ見ていると解らない言葉も多々あります。
今回、方言!とタイトル付けました。
楯は名古屋生まれの岐阜育ち。
高校までは、名古屋弁と岐阜の方言が混じった言葉を話していたと思います。
東京勤務の2年間は、楯の方言は「キツイ口調!」と
しばしば同期に注意されていました。
やはり、東京の言葉は、「優しい口調の表現!」には間違いないと
思います。
平成5年の4月、今は大阪勤務、
楯は、この半年後に担当先(得意先)を持つことになりました。
担当先の地域は、大阪府内、奈良県、和歌山県でした。
楯は担当先のキ-マンと商談しても、最初の頃は「キ-マンが話されている
意味の度合い」が、全然理解できませんでした。
「キ-マンが話されている意味の度合い」とは、
例えば楯が、「社長!売上は伸びていますか?」とお聞きすると
大概の方は「まぁ、ボチボチですわ!」と言われます。
つまり楯は「売上の伸びのボチボチ度合い」が理解できなかった時期が
ありました。
それで、たまに大阪の同期と居酒屋行くと「ボチボチってどの程度のこと
なんだ?」と聞いたことがありましたが。
ある同期は「ボチボチの範囲が広い人もいるからな-」と。
大阪や奈良の担当先のキ-マンは、
「相手に対し、伝え方が遠回しの表現」をされました。
それは、「相手に対する、優しさや配慮」があったと思います。
その典型的な方言が、「値引きの表現」に顕著に現われていました。
楯が「このA製品は、一個1,000円でお願いしたいのですが?」と尋ねると。
担当先のキ-マンは「楯さんょ!もう少し勉強してくれへんか?」と言われます。
楯からしたら、「もう100円値引きしてくれないか?」と聞かれたほうが
分かり易いですが。
この「勉強」という遠回しな表現、どの位値引いていいか分かり難い曖昧な表現
をされていました。
ですから「お客様の意味の度合いは、自分の尺度を持つしかない」が
楯の結論でした。
しかし名古屋や東京のキ-マンは、比較的「ストレ-ト系」に表現される
傾向が強かったですね!
ちなみに以前、京都出身の方に「方言」についてお聞きしたことがあります。
それは、「嫌いなお客さんが来られても、決して断る「言葉」は使わない!」と。

どの国、どの地域にも、言語は違っても「方言」はあるのでは
ないでしょうか!
日本には、東京弁が標準語、名古屋弁、博多弁、関西弁など多々あります。
沖縄や青森の言葉、テレビ見ていると解らない言葉も多々あります。
今回、方言!とタイトル付けました。
楯は名古屋生まれの岐阜育ち。
高校までは、名古屋弁と岐阜の方言が混じった言葉を話していたと思います。
東京勤務の2年間は、楯の方言は「キツイ口調!」と
しばしば同期に注意されていました。
やはり、東京の言葉は、「優しい口調の表現!」には間違いないと
思います。
平成5年の4月、今は大阪勤務、
楯は、この半年後に担当先(得意先)を持つことになりました。
担当先の地域は、大阪府内、奈良県、和歌山県でした。
楯は担当先のキ-マンと商談しても、最初の頃は「キ-マンが話されている
意味の度合い」が、全然理解できませんでした。
「キ-マンが話されている意味の度合い」とは、
例えば楯が、「社長!売上は伸びていますか?」とお聞きすると
大概の方は「まぁ、ボチボチですわ!」と言われます。
つまり楯は「売上の伸びのボチボチ度合い」が理解できなかった時期が
ありました。
それで、たまに大阪の同期と居酒屋行くと「ボチボチってどの程度のこと
なんだ?」と聞いたことがありましたが。
ある同期は「ボチボチの範囲が広い人もいるからな-」と。
大阪や奈良の担当先のキ-マンは、
「相手に対し、伝え方が遠回しの表現」をされました。
それは、「相手に対する、優しさや配慮」があったと思います。
その典型的な方言が、「値引きの表現」に顕著に現われていました。
楯が「このA製品は、一個1,000円でお願いしたいのですが?」と尋ねると。
担当先のキ-マンは「楯さんょ!もう少し勉強してくれへんか?」と言われます。
楯からしたら、「もう100円値引きしてくれないか?」と聞かれたほうが
分かり易いですが。
この「勉強」という遠回しな表現、どの位値引いていいか分かり難い曖昧な表現
をされていました。
ですから「お客様の意味の度合いは、自分の尺度を持つしかない」が
楯の結論でした。
しかし名古屋や東京のキ-マンは、比較的「ストレ-ト系」に表現される
傾向が強かったですね!
ちなみに以前、京都出身の方に「方言」についてお聞きしたことがあります。
それは、「嫌いなお客さんが来られても、決して断る「言葉」は使わない!」と。

◆◇余談◇◆
今回は、手の動き!です。
やはり、ビジネスでもプライベ-トでも会話している相手の反応って
気になるもんです。
・ 関心を持って聞いてくれているのか。
・ つまらない話しをしているのではないか。
楯は、「商談内容」について関心を持ってくれたかの感触を知りたいというのが第一の関心事でしたが。
★相手が、あなたの話しに関心や興味を示す「しぐさ」は、
・相手が手のひらを見せる。
・ あごをさする。
・ 相手との間にある障害物を取り除く動作。
★ 相手が、あなたの話に賛成できない「しぐさ」は、
・ 体の前で、握りこぶしを作る動作。
・ 指やペンで、机の上を叩く。
・ 鼻の下をこする。
では、次回お楽しみに!
2009年6月1日月曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」~技術営業!15話~
ご来訪、いつも感謝しています。楯です。
商社の東京時代は、ル-ト営業をしていたとお話しました。
楯が勤めた商社のル-ト営業は、日本国内のメ-カ-から
首都圏の得意先へ販売していました。
ポイントは、営業手法です。
ル-ト営業は、日本国内メ-カ-の総合カタログを得意先へ配布しており、
得意先の売上貢献度や商社の貢献度を考慮して、
例えば「カタログの定価の48掛け率で、A得意先へ仕切る」という慣習
がありました。(今も、あると思いますが・・・)
その48掛け率の中には、商社のマ-ジンも含まれている仕組みでした。
つまり、ル-ト営業は極論すれば「売上拡大だけの勝負」でした。
商品及び製品の返品も、メ-カ-負担でしたので。
ですから、キ-マンを如何に「その気にさせるか」が重要であって、
知識に関し専門性が要求される営業手法とは少し違いましたね!
しかし、そうしたル-ト営業を少しの期間でも経験した楯からしたら、
木材の輸入契約を進める道のりは、かなり広い範囲の専門性が要求されていたと
言えます。
それは、
①輸入原材料の営業は、価格・品質・サイズ・数量など楯が営業を完結しなければ
ならないこと。
②販売先は、製造メ-カ-であることは「生産性の効率化」を厳しく要求されること。
③1つの輸入原材料の契約金額は、約4~5百万単位と金額が大きかったこと。
④商社ですから、もし返品されても処分できない環境であったこと。
以上のようなリスクを、常に抱えながらの営業でした。
ですから、それなりの専門性を要求された営業であったことは確かです。
つまり、「技術営業」が求められる違いがありました。
商社の大阪勤務時代の5年間、
最初の約2年間は、技術営業ができるための訓練でした。
かつ市場導入期であった、新素材のラジア-タパイン製品を
営業車の助手席に積み、得意先のキ-マンへ見せながらの商談。
新素材のラジア-タパイン製品を得意先のキ-マンが初めて契約する時は、
特に品質と寸法精度が不安要素でした。
そんなニ-ズがあれば、大阪・奈良の林業試験場へサンプルを持ち込んで
各種のデ-タ証明書を発行してもらう。
そうした、裏付けの試験結果の蓄積をもとに、
繰り返し得意先のキ-マンとサンプルを見ながらの商談の連続でした。
そんな繰り返しの営業で、新素材のラジア-タパイン製品の契約は
楯が大阪へ転勤してから、約2年半後に売上が少しづつUPするように
なりました。
「如何に、新しい商品や製品を売ることの難しさ」を頭とカラダで実感した
時期でした。
ただ逆に考えれば、
この時期だから、「粘り強い商談する力」が自然と身に付いたかもしれません。
それは、近い将来入社する新人達は、
「この商品や製品の取引は、当たり前という価値観になってしまう」からです。
そうした意味では、「楯は、絶好の機会を与えて頂いたのだ」と
感謝しております。
楯の20代半は、「木材は生き物」を相手に悪戦苦闘していました。

◆◇ 余談◇◆
今回は、笑顔!です。
皆さんは、お客さんと本当に腹を抱えて笑ったことありますか?
人は同じタイミングで笑える人に、親近感を覚えるものです。
一緒に笑える相手は、共通の価値観を持つ、つまり気が合う存在と言えます。
しかし、お世辞笑いや愛想笑いは、作り笑いの代表格と。
では、作り笑いと本当の笑いをどこで見分けるのか。
「目が笑っていなければウソ」と言われます。
「目の動き」がポイントになるそうです。
作り笑いをする時、目と口が同時に動きます。
しかし、本当に笑っている時は、「口が先に開き、遅れて目元がゆるんでくる」と
言われます。
ちなみに、涙が出るほどおかしいと思ったときの笑いは、口や目が動くだけでなく
体全体で表現するそうです。
※当時、楯も大阪のある得意先専務と、大阪から秋田まで飛行機で出張している途中、
飛行機の中で耳とアゴが死ぬほど痛くなった姿を見られました。
そして、その専務が大笑い。
それ以後、この話は商談の時にも、話す前から笑い出す始末でした。
やっぱりお客様と、本音で話し合える仲になると「営業の醍醐味」を実感できると
思いますね!
では、次回お楽しみに!
商社の東京時代は、ル-ト営業をしていたとお話しました。
楯が勤めた商社のル-ト営業は、日本国内のメ-カ-から
首都圏の得意先へ販売していました。
ポイントは、営業手法です。
ル-ト営業は、日本国内メ-カ-の総合カタログを得意先へ配布しており、
得意先の売上貢献度や商社の貢献度を考慮して、
例えば「カタログの定価の48掛け率で、A得意先へ仕切る」という慣習
がありました。(今も、あると思いますが・・・)
その48掛け率の中には、商社のマ-ジンも含まれている仕組みでした。
つまり、ル-ト営業は極論すれば「売上拡大だけの勝負」でした。
商品及び製品の返品も、メ-カ-負担でしたので。
ですから、キ-マンを如何に「その気にさせるか」が重要であって、
知識に関し専門性が要求される営業手法とは少し違いましたね!
しかし、そうしたル-ト営業を少しの期間でも経験した楯からしたら、
木材の輸入契約を進める道のりは、かなり広い範囲の専門性が要求されていたと
言えます。
それは、
①輸入原材料の営業は、価格・品質・サイズ・数量など楯が営業を完結しなければ
ならないこと。
②販売先は、製造メ-カ-であることは「生産性の効率化」を厳しく要求されること。
③1つの輸入原材料の契約金額は、約4~5百万単位と金額が大きかったこと。
④商社ですから、もし返品されても処分できない環境であったこと。
以上のようなリスクを、常に抱えながらの営業でした。
ですから、それなりの専門性を要求された営業であったことは確かです。
つまり、「技術営業」が求められる違いがありました。
商社の大阪勤務時代の5年間、
最初の約2年間は、技術営業ができるための訓練でした。
かつ市場導入期であった、新素材のラジア-タパイン製品を
営業車の助手席に積み、得意先のキ-マンへ見せながらの商談。
新素材のラジア-タパイン製品を得意先のキ-マンが初めて契約する時は、
特に品質と寸法精度が不安要素でした。
そんなニ-ズがあれば、大阪・奈良の林業試験場へサンプルを持ち込んで
各種のデ-タ証明書を発行してもらう。
そうした、裏付けの試験結果の蓄積をもとに、
繰り返し得意先のキ-マンとサンプルを見ながらの商談の連続でした。
そんな繰り返しの営業で、新素材のラジア-タパイン製品の契約は
楯が大阪へ転勤してから、約2年半後に売上が少しづつUPするように
なりました。
「如何に、新しい商品や製品を売ることの難しさ」を頭とカラダで実感した
時期でした。
ただ逆に考えれば、
この時期だから、「粘り強い商談する力」が自然と身に付いたかもしれません。
それは、近い将来入社する新人達は、
「この商品や製品の取引は、当たり前という価値観になってしまう」からです。
そうした意味では、「楯は、絶好の機会を与えて頂いたのだ」と
感謝しております。
楯の20代半は、「木材は生き物」を相手に悪戦苦闘していました。

◆◇ 余談◇◆
今回は、笑顔!です。
皆さんは、お客さんと本当に腹を抱えて笑ったことありますか?
人は同じタイミングで笑える人に、親近感を覚えるものです。
一緒に笑える相手は、共通の価値観を持つ、つまり気が合う存在と言えます。
しかし、お世辞笑いや愛想笑いは、作り笑いの代表格と。
では、作り笑いと本当の笑いをどこで見分けるのか。
「目が笑っていなければウソ」と言われます。
「目の動き」がポイントになるそうです。
作り笑いをする時、目と口が同時に動きます。
しかし、本当に笑っている時は、「口が先に開き、遅れて目元がゆるんでくる」と
言われます。
ちなみに、涙が出るほどおかしいと思ったときの笑いは、口や目が動くだけでなく
体全体で表現するそうです。
※当時、楯も大阪のある得意先専務と、大阪から秋田まで飛行機で出張している途中、
飛行機の中で耳とアゴが死ぬほど痛くなった姿を見られました。
そして、その専務が大笑い。
それ以後、この話は商談の時にも、話す前から笑い出す始末でした。
やっぱりお客様と、本音で話し合える仲になると「営業の醍醐味」を実感できると
思いますね!
では、次回お楽しみに!
2009年5月25日月曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」~検品で知る!14話~
ご来訪、いつも感謝しています。楯です。
昔から楯は、歴史の本を読むこと好きです!
特に、戦国時代と江戸時代です。
戦国時代で有名な武将は、織田信長、豊臣秀吉などです。
豊臣秀吉は、貧しい百姓の子として生まれながら、厳しい身分制度の中で
天下を統一した人物ですよ!
江戸時代では、徳川家康が江戸(東京都)幕府を開府した元勲。
歴代征夷大将軍は、15代続きました。
その中で名君と言われたのが、8代将軍徳川吉宗です。
日本のテレビでは、「暴れん坊将軍」として数十年続いていますよ!
この吉宗は、いろいろな改革を実施しました。
その中の1つ、将軍の子(世継)を育てる「大奥」という男性禁制の
お城がありました。
吉宗の時代、財政はかなり厳しく「大奥の改革」も実施しました。
それは、今で言うリストラです。
その基準は、容姿の綺麗な女性をリストラしたことでした。
その理由は、嫁に行けるからでした。
当時の大奥の中では、どんな葛藤や嫉妬があったか想像も付かないですが・・・。
今回、検品で知る!とタイトルつけました。
平成5年、
当時、木材の輸入原材料には2種類ありました。
◇1つは、水分を充分含んだ原材料でした。
※これらの原材料は、主に中国からの輸入。
◇もう1つは、人工的に乾燥した原材料でした。
※これらの原材料は、主にアメリカ・カナダ・ニュ-ジ-ランドからの
輸入でした。
特に中国からの輸入は、日本の集成材メ-カ-の技術者が日々
人工乾燥の技術指導を行っていました。
しかし、中国と日本との気候の違いも加わり、
日本の港に到着する時は、原材料にソリ・サイズ不足・含水率のバラツキ
が生じることは多々ありました。
そして、その度に検品作業をしました。
検品作業は、単純な重労働と思われる方もみえるかと思います。
しかし、検品作業して初めて「知る」こともたくさんありました。
□検品で知ったこと
◆どの国のどの会社の原材料が、一番品質に安定感あるか。
◆どの国のどの会社に、どんな適切な指導をしたら良いかの判断。
◆お客様はクレ-ム品と主張した際の、判断基準のノウハウ蓄積。
◆なぜお客様はこの1~2mmのサイズ違いで、我々は指導されるのか。(収縮・膨張)
そのポイントは、いったい何か。
◆自分の目・手・感触・重みで、その材料がクレ-ムか判断する能力。
非常に地味で、汚れる作業でした。
ですから検品作業する日は、必ずTシャツとジーパンを持参していました。
楯は、たまたまそうした業界、原材料を扱ったに過ぎません。
例えば、木造住宅の家は、室内の湿度を自然にコントロ-ルしています。
湿度が高ければ、膨張します。
あなたの家の木材も、がんばっていると思いますよ!
地球資源の視点で言えば、集成材はRecycleWoodとしても注目されています!
また
ニュージーランド材においては、品質グレードの選別作業を
A先輩と頻繁にしていました。
当時はいわば、
市場導入に向けた、大切な準備期間であったと考えます!
ちなみに、
ニュージーランド材とは、針葉樹の松でRadiata Pine(ラジア-タ・パイン)
と呼ばれています。
このRadiata Pineの特徴に、直径40㎝の大木に約20~25年で
成長することです!
ちなみに日本や米国の松では、約90~100年かかると言われます。
そのRadiata Pineの成長の早さが、新規開拓営業の障害になるとは、
まだ楯は気づきもしてない時期でした。

昔から楯は、歴史の本を読むこと好きです!
特に、戦国時代と江戸時代です。
戦国時代で有名な武将は、織田信長、豊臣秀吉などです。
豊臣秀吉は、貧しい百姓の子として生まれながら、厳しい身分制度の中で
天下を統一した人物ですよ!
江戸時代では、徳川家康が江戸(東京都)幕府を開府した元勲。
歴代征夷大将軍は、15代続きました。
その中で名君と言われたのが、8代将軍徳川吉宗です。
日本のテレビでは、「暴れん坊将軍」として数十年続いていますよ!
この吉宗は、いろいろな改革を実施しました。
その中の1つ、将軍の子(世継)を育てる「大奥」という男性禁制の
お城がありました。
吉宗の時代、財政はかなり厳しく「大奥の改革」も実施しました。
それは、今で言うリストラです。
その基準は、容姿の綺麗な女性をリストラしたことでした。
その理由は、嫁に行けるからでした。
当時の大奥の中では、どんな葛藤や嫉妬があったか想像も付かないですが・・・。
今回、検品で知る!とタイトルつけました。
平成5年、
当時、木材の輸入原材料には2種類ありました。
◇1つは、水分を充分含んだ原材料でした。
※これらの原材料は、主に中国からの輸入。
◇もう1つは、人工的に乾燥した原材料でした。
※これらの原材料は、主にアメリカ・カナダ・ニュ-ジ-ランドからの
輸入でした。
特に中国からの輸入は、日本の集成材メ-カ-の技術者が日々
人工乾燥の技術指導を行っていました。
しかし、中国と日本との気候の違いも加わり、
日本の港に到着する時は、原材料にソリ・サイズ不足・含水率のバラツキ
が生じることは多々ありました。
そして、その度に検品作業をしました。
検品作業は、単純な重労働と思われる方もみえるかと思います。
しかし、検品作業して初めて「知る」こともたくさんありました。
□検品で知ったこと
◆どの国のどの会社の原材料が、一番品質に安定感あるか。
◆どの国のどの会社に、どんな適切な指導をしたら良いかの判断。
◆お客様はクレ-ム品と主張した際の、判断基準のノウハウ蓄積。
◆なぜお客様はこの1~2mmのサイズ違いで、我々は指導されるのか。(収縮・膨張)
そのポイントは、いったい何か。
◆自分の目・手・感触・重みで、その材料がクレ-ムか判断する能力。
非常に地味で、汚れる作業でした。
ですから検品作業する日は、必ずTシャツとジーパンを持参していました。
楯は、たまたまそうした業界、原材料を扱ったに過ぎません。
例えば、木造住宅の家は、室内の湿度を自然にコントロ-ルしています。
湿度が高ければ、膨張します。
あなたの家の木材も、がんばっていると思いますよ!
地球資源の視点で言えば、集成材はRecycleWoodとしても注目されています!
また
ニュージーランド材においては、品質グレードの選別作業を
A先輩と頻繁にしていました。
当時はいわば、
市場導入に向けた、大切な準備期間であったと考えます!
ちなみに、
ニュージーランド材とは、針葉樹の松でRadiata Pine(ラジア-タ・パイン)
と呼ばれています。
このRadiata Pineの特徴に、直径40㎝の大木に約20~25年で
成長することです!
ちなみに日本や米国の松では、約90~100年かかると言われます。
そのRadiata Pineの成長の早さが、新規開拓営業の障害になるとは、
まだ楯は気づきもしてない時期でした。

◆◇余談◇◆
味付けの話です。
台湾と言ったら、中華料理が一番にイメージします。
楯が思うに、台湾の食事は日本に近いもの感じました。
米は小粒ですが、美味しかったです!
ただ、味付けはかなり薄味でした。
塩とか醤油が欲しいぐらいです!
ではでは、次回お楽しみに!
2009年5月18日月曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」~基礎と専門性!13話~
ご来訪、いつも感謝しています。楯です。
転勤で、東京本社から大阪本社へ移動。
引っ越しは、千葉県の柏から岐阜県の実家を経由して、
奈良県の独身社員寮へ車で移動しました。
岐阜の実家から奈良県の独身寮へ移動中に、
実はとんでもないハプニングありました。
岐阜県の実家を夜10時に出発して、東名阪高速に乗りました。
車の中は、睡魔に負けないように音楽をガンガン流していました。
初めて走る道・・・。
途中で回りの車の速度が遅くなり、なんか悪い予感!
パトカーが「止まりなさい!」と。
でも高速道路だから、スピード違反は厳しいなと!
警察官曰く「この道路は、一般道路ですよ!」と告げられました。
いきなり、赤切符です。(42キロOver・・・)
てっきり東名阪と西名阪は、繋がっていると先入観ありました。
それ以来、スピード違反は一回もしてないです。
今回、基礎と専門性!とタイトルつけました。
東京本社の2年間では、国内メ-カ-の製品を国内の得意先へ販売していました。
しかし、大阪本社へ転勤して、いろんな変化に直面しました。
それは①社内の人脈作り。
②方言の変化。
③地理の変化。
④業務の専門性の変化。
でした。
①社内の人脈作り。
※皆さんも、転勤や配置転換の経験ある方もおみえかと思います。
楯は、大阪本社で1ヶ月間研修を受けただけでしたので、
大阪の仲間の名前を知る程度で、顔と一致するまで時間掛りました。
また営業部門は、管理部門の支援が大切ですが、なかなか名前と顔が一致しないまま
「Aさん、これお願いします」と楯が話したら、「私は、Bですよ」と恥をかくことも最初は多々ありました。
当時の大阪の上司・先輩から、よく言われたことがありました。
「入社して5年目までの恥や失敗は、多めにみてくれるから分からないことは
ドンドン聞け」と。
②方言の変化。
※方言は、台湾の皆さんもあると思います。
楯は、元は名古屋弁です。
東京勤務時代は、同期から「楯の名古屋弁は、キツイ言い方に聞こえるぞ!」と
何回か言われました。
しかし今は大阪です。
関西弁、独特の言い回し表現は、どう理解したら良いか分からないことも
ありました。
③地理の変化。
※これは、皆さんも経験あるかと思います。
関西のJRや地下鉄は、東京程発達していません。
ですから営業活動は、営業車で移動することが多かったです。
④業務の専門性の変化。
※木材課という組織に配属しました。
※当時の木材課は、中国やニュ-ジ-ランド、東南アジア等から原材料を輸入し、
関西圏の集成材メ-カ-へ販売する組織でした。
ですから、チ-ムのデスクには英文の輸入関係資料がたくさんありビックリ!
また先輩達の飛び交う会話も、木材の専門用語の連発!
□貿易実務の本を会社で読みました。
*銀行間の決済の流れ
*貿易専門用語
*外国為替の仕組み
*乙中業者の役割
□木材新聞を読む
*木材の専門用語
*集成材業界の現状把握
*その他・・・
を毎日読むことでした。
また、
A先輩から「分からない新聞記事の内容や専門用語の語彙の意味、
まとめて聞いてくれ?」と。
毎週、文通みたいなことしていました。
当時は、最低限必要な知識としか思いませんでした。
しかし、いま思えば「この最低限必要な知識を中途半端にしていたら、
新規営業開拓などできないし、売上10倍なんて到底無理だったこと」を
改めて客観的に回想してしまいました。
それは、新規営業開拓とは技術営業だからでした。
そのキ-ワ-ドは、木材は生き物であるからでした。

◆◇余談◇◆
この4月の初旬、台北へ行きました。
台湾では、高学歴社会が加速しています。
聞いた話では、人気は公務員みたいです。
しかし驚いたことは、学校の先生になるにも、就職浪人するのが当たり前とか。
やむなく、大学を留年するか、大学院にあたる研究所へ進学するそうです。
ではでは、次回お楽しみに!
転勤で、東京本社から大阪本社へ移動。
引っ越しは、千葉県の柏から岐阜県の実家を経由して、
奈良県の独身社員寮へ車で移動しました。
岐阜の実家から奈良県の独身寮へ移動中に、
実はとんでもないハプニングありました。
岐阜県の実家を夜10時に出発して、東名阪高速に乗りました。
車の中は、睡魔に負けないように音楽をガンガン流していました。
初めて走る道・・・。
途中で回りの車の速度が遅くなり、なんか悪い予感!
パトカーが「止まりなさい!」と。
でも高速道路だから、スピード違反は厳しいなと!
警察官曰く「この道路は、一般道路ですよ!」と告げられました。
いきなり、赤切符です。(42キロOver・・・)
てっきり東名阪と西名阪は、繋がっていると先入観ありました。
それ以来、スピード違反は一回もしてないです。
今回、基礎と専門性!とタイトルつけました。
東京本社の2年間では、国内メ-カ-の製品を国内の得意先へ販売していました。
しかし、大阪本社へ転勤して、いろんな変化に直面しました。
それは①社内の人脈作り。
②方言の変化。
③地理の変化。
④業務の専門性の変化。
でした。
①社内の人脈作り。
※皆さんも、転勤や配置転換の経験ある方もおみえかと思います。
楯は、大阪本社で1ヶ月間研修を受けただけでしたので、
大阪の仲間の名前を知る程度で、顔と一致するまで時間掛りました。
また営業部門は、管理部門の支援が大切ですが、なかなか名前と顔が一致しないまま
「Aさん、これお願いします」と楯が話したら、「私は、Bですよ」と恥をかくことも最初は多々ありました。
当時の大阪の上司・先輩から、よく言われたことがありました。
「入社して5年目までの恥や失敗は、多めにみてくれるから分からないことは
ドンドン聞け」と。
②方言の変化。
※方言は、台湾の皆さんもあると思います。
楯は、元は名古屋弁です。
東京勤務時代は、同期から「楯の名古屋弁は、キツイ言い方に聞こえるぞ!」と
何回か言われました。
しかし今は大阪です。
関西弁、独特の言い回し表現は、どう理解したら良いか分からないことも
ありました。
③地理の変化。
※これは、皆さんも経験あるかと思います。
関西のJRや地下鉄は、東京程発達していません。
ですから営業活動は、営業車で移動することが多かったです。
④業務の専門性の変化。
※木材課という組織に配属しました。
※当時の木材課は、中国やニュ-ジ-ランド、東南アジア等から原材料を輸入し、
関西圏の集成材メ-カ-へ販売する組織でした。
ですから、チ-ムのデスクには英文の輸入関係資料がたくさんありビックリ!
また先輩達の飛び交う会話も、木材の専門用語の連発!
□貿易実務の本を会社で読みました。
*銀行間の決済の流れ
*貿易専門用語
*外国為替の仕組み
*乙中業者の役割
□木材新聞を読む
*木材の専門用語
*集成材業界の現状把握
*その他・・・
を毎日読むことでした。
また、
A先輩から「分からない新聞記事の内容や専門用語の語彙の意味、
まとめて聞いてくれ?」と。
毎週、文通みたいなことしていました。
当時は、最低限必要な知識としか思いませんでした。
しかし、いま思えば「この最低限必要な知識を中途半端にしていたら、
新規営業開拓などできないし、売上10倍なんて到底無理だったこと」を
改めて客観的に回想してしまいました。
それは、新規営業開拓とは技術営業だからでした。
そのキ-ワ-ドは、木材は生き物であるからでした。

◆◇余談◇◆
この4月の初旬、台北へ行きました。
台湾では、高学歴社会が加速しています。
聞いた話では、人気は公務員みたいです。
しかし驚いたことは、学校の先生になるにも、就職浪人するのが当たり前とか。
やむなく、大学を留年するか、大学院にあたる研究所へ進学するそうです。
ではでは、次回お楽しみに!
2009年5月11日月曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」~予感12話~
ご来訪、いつも感謝しています。楯です。
予感という言葉、皆さんは何を連想されますか?!
例えば、
不吉な予感! 雨が降りそうな予感! 恋の予感!など、
いろんな予感がありますね。
この12話で、商社の東京勤務時代のお話は終わります!
13話から大阪勤務時代へ突入し、「売上10倍!」の核心を連載します!
今回、予感!とタイトルつけました。
平成5年3月の頃、
当時、担当先(販売先)の中で上司から引き継いだ先がありました。
住宅用サッシ販売の会社。その社長、元大手サッシメーカーの上級管理職から
脱サラした方。
当時取引年数、楯のサッシに関する知識も浅かったこともあり、
その社長との商談はザックリした世間話ばかりでした。
しかし、月2回ペースで訪問していましたが、
ある危険な予感をいつも意識していました。
それは、同じ製品の長期在庫です!(日付と品番で、分かります)
販売店という流通の位置付けなら、
6ヶ月も在庫するのは不自然と考えていました。
また楯は、その担当先の営業マンと必ず軽く話をしていました。
「売上の伸びは、どうですか?」と。
営業マン曰く「芳しくないね!」と、聞いていました。
なおかつ、次月訪問したらその営業マンは転職していて、
新たな営業マンに替わっていました。
この担当先の報告は、上司へ訪問ごとに必ずしていました。
要は、与信リスクの懸念でした。
一般的に商社は、消費税なみのマージンですから債権が回収できなければ、
今まで得た利益も一瞬にしてなくなります。
そこで、上司と相談のうえ担当先ではあるが、取引はしないことにしました。
それから2年後、大阪へ転勤していた楯に、
元東京の上司から内線が入りました。
元上司曰く「楯の判断正しかったな!やはりあの担当先は・・・」と。
何も被害がなかったようでした・・・。
さて
昨年のサブブライムローンを発端に、日本の住宅業界や不動産投資業界の倒産も
多々ありました。
しかし、皆さん生き残るための経営戦略を見いだそうと必死だと思います!
ただ、矛盾も生じて来ます。売上を伸ばしたい営業パーソンと、
与信リスクと利益率の低下に悩む経営幹部との葛藤!
ちなみに、楯の修士論文のタイトルは、「住宅業界における競争戦略」でした。
住宅資材メーカーにとって、どんな強みが必要だろうか?!
熾烈な低価格競争を続けるのではなく、
社内のコンピタンス(能力)を充分発揮できるビジネスモデルへと
進化させることが、今こそ求められています?!

◆◇余談◇◆
去年の10月から、
「化粧品業界における一般品店舗の差別化戦略の考察」と題して研究し、
一定の結論を4月に出しました。
「なぜ、制度品店舗は業績が減少するのか?」
「なぜ、百貨店離れするのか?」
「一般品店舗でも、人気の是非があるのか?」
そうした問題意識をもとに、これからもっと増加するキャリア女性の視点で。
未婚既婚関係なく、多忙なキャリア女性を集客する一般品店舗の戦略とは…
では、次回お楽しみに!
予感という言葉、皆さんは何を連想されますか?!
例えば、
不吉な予感! 雨が降りそうな予感! 恋の予感!など、
いろんな予感がありますね。
この12話で、商社の東京勤務時代のお話は終わります!
13話から大阪勤務時代へ突入し、「売上10倍!」の核心を連載します!
今回、予感!とタイトルつけました。
平成5年3月の頃、
当時、担当先(販売先)の中で上司から引き継いだ先がありました。
住宅用サッシ販売の会社。その社長、元大手サッシメーカーの上級管理職から
脱サラした方。
当時取引年数、楯のサッシに関する知識も浅かったこともあり、
その社長との商談はザックリした世間話ばかりでした。
しかし、月2回ペースで訪問していましたが、
ある危険な予感をいつも意識していました。
それは、同じ製品の長期在庫です!(日付と品番で、分かります)
販売店という流通の位置付けなら、
6ヶ月も在庫するのは不自然と考えていました。
また楯は、その担当先の営業マンと必ず軽く話をしていました。
「売上の伸びは、どうですか?」と。
営業マン曰く「芳しくないね!」と、聞いていました。
なおかつ、次月訪問したらその営業マンは転職していて、
新たな営業マンに替わっていました。
この担当先の報告は、上司へ訪問ごとに必ずしていました。
要は、与信リスクの懸念でした。
一般的に商社は、消費税なみのマージンですから債権が回収できなければ、
今まで得た利益も一瞬にしてなくなります。
そこで、上司と相談のうえ担当先ではあるが、取引はしないことにしました。
それから2年後、大阪へ転勤していた楯に、
元東京の上司から内線が入りました。
元上司曰く「楯の判断正しかったな!やはりあの担当先は・・・」と。
何も被害がなかったようでした・・・。
さて
昨年のサブブライムローンを発端に、日本の住宅業界や不動産投資業界の倒産も
多々ありました。
しかし、皆さん生き残るための経営戦略を見いだそうと必死だと思います!
ただ、矛盾も生じて来ます。売上を伸ばしたい営業パーソンと、
与信リスクと利益率の低下に悩む経営幹部との葛藤!
ちなみに、楯の修士論文のタイトルは、「住宅業界における競争戦略」でした。
住宅資材メーカーにとって、どんな強みが必要だろうか?!
熾烈な低価格競争を続けるのではなく、
社内のコンピタンス(能力)を充分発揮できるビジネスモデルへと
進化させることが、今こそ求められています?!

◆◇余談◇◆
去年の10月から、
「化粧品業界における一般品店舗の差別化戦略の考察」と題して研究し、
一定の結論を4月に出しました。
「なぜ、制度品店舗は業績が減少するのか?」
「なぜ、百貨店離れするのか?」
「一般品店舗でも、人気の是非があるのか?」
そうした問題意識をもとに、これからもっと増加するキャリア女性の視点で。
未婚既婚関係なく、多忙なキャリア女性を集客する一般品店舗の戦略とは…
では、次回お楽しみに!
2009年4月24日金曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」 ~引寄せる!11話~
ご来訪、いつもありがとうございます。楯です。
今回、引寄せる!とタイトルつけました。
ルート営業は、一般的に担当先(販売先)をたくさん持ちます。
それで、真面目にすべての担当先を回る営業パーソンをよく見かけました。
果たして、この営業スタイルはいかがでしょうか?!
この問の本質は、御用聞き営業になってしまっているか否かでは
ないかと思います!
御用聞き営業とは、「目的や用事がなくても、取り敢えず担当先を回る営業」を
意味します。
営業の目標の一つに、担当先の訪問回数を設定している会社もあることです。
質より量です。
ですから担当先キーマンの立場になれば、よほど質の高く興味ある情報
でないと、
右→左へスッと聞き流されてしまうのが実態です。
それがル-ト営業の難しさかもしれません!
楯の担当先で、中堅建材問屋がありました。
千葉と埼玉と神奈川に拠点があり、キーマンもそれぞれでした。
最初は、千葉・埼玉・神奈川をすべて回る営業をしていました。
ただ拠点キーマンとの商談での感触では、神奈川が一番良かったです。
キ-マンの営業方針の違いとか、相性もありました。
神奈川のキーマンは楯へ
「まだ歴史は浅いが、これから東京のベッドタウンで
大きな需要あるからな!」と。
神奈川のキ-マンは、「大型マンションが続々と建ち、
ユニットバスやキッチン関係も、かなり増える予定!」と。
そこで「この担当先は、神奈川に的を絞るぞ!」と決めました。
あえて、千葉と埼玉は後回ししました。
仕入先営業パーソンも、神奈川拠点に協力してくれました。
月日が経つにつれ、楯が訪問すると神奈川のキーマンはニコニコした
表情をしてくれるようになりました。
それは3拠点の中で、仕入先営業パ-ソンの動きの活発さと、もちろん
売上も伸びたからです。
それでも、神奈川のキ-マンも最初は、商談というか会話にならない程度の
愛想のなさでした。
それでも引寄せるのに、約1年費やしました。
それ以後、売上が伸びて仕入先の「特別扱い店」に認定されました。
担当先の皆さんから「ありがとう!」と、初めてお礼を言われました。
本当に嬉しかったです!
大阪へ転勤する、1ヶ月前のことでした・・・。
大阪へ転勤後、別の担当者が引き継ぎました。
楯は「千葉と埼玉との売上は、どう?」と聞きました。
やはり、売上は以前と変わらずでした。
結果として、「選択して集中的に攻めたこと」が良かった一例です。

今回、引寄せる!とタイトルつけました。
ルート営業は、一般的に担当先(販売先)をたくさん持ちます。
それで、真面目にすべての担当先を回る営業パーソンをよく見かけました。
果たして、この営業スタイルはいかがでしょうか?!
この問の本質は、御用聞き営業になってしまっているか否かでは
ないかと思います!
御用聞き営業とは、「目的や用事がなくても、取り敢えず担当先を回る営業」を
意味します。
営業の目標の一つに、担当先の訪問回数を設定している会社もあることです。
質より量です。
ですから担当先キーマンの立場になれば、よほど質の高く興味ある情報
でないと、
右→左へスッと聞き流されてしまうのが実態です。
それがル-ト営業の難しさかもしれません!
楯の担当先で、中堅建材問屋がありました。
千葉と埼玉と神奈川に拠点があり、キーマンもそれぞれでした。
最初は、千葉・埼玉・神奈川をすべて回る営業をしていました。
ただ拠点キーマンとの商談での感触では、神奈川が一番良かったです。
キ-マンの営業方針の違いとか、相性もありました。
神奈川のキーマンは楯へ
「まだ歴史は浅いが、これから東京のベッドタウンで
大きな需要あるからな!」と。
神奈川のキ-マンは、「大型マンションが続々と建ち、
ユニットバスやキッチン関係も、かなり増える予定!」と。
そこで「この担当先は、神奈川に的を絞るぞ!」と決めました。
あえて、千葉と埼玉は後回ししました。
仕入先営業パーソンも、神奈川拠点に協力してくれました。
月日が経つにつれ、楯が訪問すると神奈川のキーマンはニコニコした
表情をしてくれるようになりました。
それは3拠点の中で、仕入先営業パ-ソンの動きの活発さと、もちろん
売上も伸びたからです。
それでも、神奈川のキ-マンも最初は、商談というか会話にならない程度の
愛想のなさでした。
それでも引寄せるのに、約1年費やしました。
それ以後、売上が伸びて仕入先の「特別扱い店」に認定されました。
担当先の皆さんから「ありがとう!」と、初めてお礼を言われました。
本当に嬉しかったです!
大阪へ転勤する、1ヶ月前のことでした・・・。
大阪へ転勤後、別の担当者が引き継ぎました。
楯は「千葉と埼玉との売上は、どう?」と聞きました。
やはり、売上は以前と変わらずでした。
結果として、「選択して集中的に攻めたこと」が良かった一例です。
◆◇余談◇◆
情報化社会!
いまインタ-ネットで、商品が簡単に買えます。
法人営業も集客営業も、お客様との対面時間が少なくなった
感じがします。
商品やサ-ビスを提供するにあたり、お客様がどんな表情で、
どんなしぐさをし
何に興味や反応を示すか、つまり「何を考えているのか?」というもの・・・。
なかなか、メ-ルの文字表現や携帯電話の声だけでは理解できない
ケ-スって、いま楯は経験しています!
それは、お互いに「目」を見てないからです。
情報化社会!
いまインタ-ネットで、商品が簡単に買えます。
法人営業も集客営業も、お客様との対面時間が少なくなった
感じがします。
商品やサ-ビスを提供するにあたり、お客様がどんな表情で、
どんなしぐさをし
何に興味や反応を示すか、つまり「何を考えているのか?」というもの・・・。
なかなか、メ-ルの文字表現や携帯電話の声だけでは理解できない
ケ-スって、いま楯は経験しています!
それは、お互いに「目」を見てないからです。
※ちなみに、
「目は口ほどにものを言う」といわれる通り、目の動きはその人の心理状態や
性各を表すそうです。
・「だましのプロ(詐欺師)は、絶対に相手に対し視線をそらさない」といいます。
それは相手に対し、余計な考える時間とか、情報を入手する手段を与えないという
視線です。
また、心理学者のメ-ラビアン氏は
「言葉の信用度は10%以下で、声の調子や顔の表情によって相手の情報を読み取る」と、
数値による公式化をしています。
★言葉の信用度・・・ 7%
★音声の信用度・・・38%
★顔の信用度・・・・55%
なんか難しそうな感じがしますが、「顔の表情」でお客様の感触をつかむことも、
大切だなと分かります!
そうでなければ、営業パーソンの価値も希薄化しちゃいますから。
ぜひ20代~30代の営業パーソンには、自分流の営業をしていただきたい
ものです!
「目は口ほどにものを言う」といわれる通り、目の動きはその人の心理状態や
性各を表すそうです。
・「だましのプロ(詐欺師)は、絶対に相手に対し視線をそらさない」といいます。
それは相手に対し、余計な考える時間とか、情報を入手する手段を与えないという
視線です。
また、心理学者のメ-ラビアン氏は
「言葉の信用度は10%以下で、声の調子や顔の表情によって相手の情報を読み取る」と、
数値による公式化をしています。
★言葉の信用度・・・ 7%
★音声の信用度・・・38%
★顔の信用度・・・・55%
なんか難しそうな感じがしますが、「顔の表情」でお客様の感触をつかむことも、
大切だなと分かります!
そうでなければ、営業パーソンの価値も希薄化しちゃいますから。
ぜひ20代~30代の営業パーソンには、自分流の営業をしていただきたい
ものです!

今週も、ドロドロPowerで元気ハツラツです!
PS:現在、台湾向けにもブログを連載しています。
人気のある文章は、「ウェルチ」というブログに表示されるようです。
個人のブログには、「本日熱門」HOTとタイトルに表示されます。
ちなみに、楯のブログは1~6話まで「本日熱門」HOTと表示されました。
その画像は、こんな風です。
PS:現在、台湾向けにもブログを連載しています。
人気のある文章は、「ウェルチ」というブログに表示されるようです。
個人のブログには、「本日熱門」HOTとタイトルに表示されます。
ちなみに、楯のブログは1~6話まで「本日熱門」HOTと表示されました。
その画像は、こんな風です。
では、次回お楽しみに!
2009年4月17日金曜日
「営業パ-ソン、がんばれ!」~未来予想図10話~
ご来訪、いつもありがとうございます。楯です。
来週から、ゴールデンウィーク突入します。
気分は、ウキウキモードでしょうか?!
車や新幹線で、実家に戻られる方も多いのでは!
特に、車での高速道路、もし20㌔渋滞とかにハマったら、辛いものあります。
楯は、千葉の柏に社員寮がありました。
深夜1時に車で出発して、中央道を利用して、実家へ朝7時に着くパターンでした。
シバシバ睡魔との闘いありましたが・・・!
さて
今回、未来予想図!とタイトルつけました。
商社東京勤務の2年目、
当時会社には、たくさん営業本部がありました。
ただ楯は、他の本部の方と話す機会は少なかったです。
唯一、隣の本部に同期がいましたので、そのかた達とは冗談話
ばかりしてました。
ある日、同期のグループの上司Bさんと話しました。
その上司Bさんが「楯な、自分の人生は自分で作れ!」と・・・。
(急にです・・・)
「どうゆう意味か分かるか?、20代で1つ大きなビジネスをつくり、
30代で2つ大きなビジネスをつくれ!」と・・。
「そのために、いま何をしなければならないのか?
20代で何をするか真剣に考えてみるといいぞ?」と。
上司Bさんの言葉には、説得力があり鮮明に感じました。
その後、楯の上司の同期の方と知りました。
しかし「心の闘志!」に火が付く、すごい発想力でした!
今回で、「営業パ-ソン、がんばれ!」は10話になりました。
この楯のブログには、会社の上司や先輩との実際の会話のやり取りが多く
詰まっています。
やはり20~30代前半の皆さんに、「ビジネスでの実践の考え方や思考!」っと
いったことも
楯のブログが少しでも参考になればと
思っています。
書店に行けば、「論理的な文章の書き方」とか「マ-ケティング」など、
多々書籍はあります。
しかし、あなたが上司や先輩とビジネスにおいて、会話するいろんな内容は
あなただけの財産で、書店では買えません。
やはり、「職業観は30代前半でつくられてしまう?!」という
思いもあります・・・。
私は、いままでビジネスを通じて何十人もの若い営業パ-ソンの挫折を
見てきたので・・・・。

◆◇余談◇◆
自宅の近くに、隠れ屋的な喫茶店があります。
このお店は、東山通りから平和公園へ、少し入ったところにありますが、
下の写真がお店です!

月1回ほど行きます。
自家製のケーキとコーヒーが美味です!
ちなみに、画像はマスターの許可済みです。
ではでは、次回お楽しみに!
来週から、ゴールデンウィーク突入します。
気分は、ウキウキモードでしょうか?!
車や新幹線で、実家に戻られる方も多いのでは!
特に、車での高速道路、もし20㌔渋滞とかにハマったら、辛いものあります。
楯は、千葉の柏に社員寮がありました。
深夜1時に車で出発して、中央道を利用して、実家へ朝7時に着くパターンでした。
シバシバ睡魔との闘いありましたが・・・!
さて
今回、未来予想図!とタイトルつけました。
商社東京勤務の2年目、
当時会社には、たくさん営業本部がありました。
ただ楯は、他の本部の方と話す機会は少なかったです。
唯一、隣の本部に同期がいましたので、そのかた達とは冗談話
ばかりしてました。
ある日、同期のグループの上司Bさんと話しました。
その上司Bさんが「楯な、自分の人生は自分で作れ!」と・・・。
(急にです・・・)
「どうゆう意味か分かるか?、20代で1つ大きなビジネスをつくり、
30代で2つ大きなビジネスをつくれ!」と・・。
「そのために、いま何をしなければならないのか?
20代で何をするか真剣に考えてみるといいぞ?」と。
上司Bさんの言葉には、説得力があり鮮明に感じました。
その後、楯の上司の同期の方と知りました。
しかし「心の闘志!」に火が付く、すごい発想力でした!
今回で、「営業パ-ソン、がんばれ!」は10話になりました。
この楯のブログには、会社の上司や先輩との実際の会話のやり取りが多く
詰まっています。
やはり20~30代前半の皆さんに、「ビジネスでの実践の考え方や思考!」っと
いったことも
楯のブログが少しでも参考になればと
思っています。
書店に行けば、「論理的な文章の書き方」とか「マ-ケティング」など、
多々書籍はあります。
しかし、あなたが上司や先輩とビジネスにおいて、会話するいろんな内容は
あなただけの財産で、書店では買えません。
やはり、「職業観は30代前半でつくられてしまう?!」という
思いもあります・・・。
私は、いままでビジネスを通じて何十人もの若い営業パ-ソンの挫折を
見てきたので・・・・。

◆◇余談◇◆
自宅の近くに、隠れ屋的な喫茶店があります。
このお店は、東山通りから平和公園へ、少し入ったところにありますが、
下の写真がお店です!
月1回ほど行きます。
自家製のケーキとコーヒーが美味です!
ちなみに、画像はマスターの許可済みです。
ではでは、次回お楽しみに!
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